D-2「学園都市線」北海道医療大学〜新十津川
この路線は、
札沼線
との名称も使われていて・・以前は、
留萌本線「石狩沼田」駅まで通っていました。
今は、「新十津川」駅まで。
2020年には、「北海道医療大学」駅以降は廃線になるらしい。
全路線走破済み
<2019年7月3日(水)>
「7月、北海道JR鈍行の旅@」2日に神戸から札幌に移動して
来年5月に廃線になるらしいので・・翌日に
JR学園都市線(札沼線)走破
を目指しました。
札幌駅
今でも、1日に1往復しか走っていない(笑)
6:58分で行くと、丁度よく石狩当別発の列車に乗れるのだが・・
一本早い、6:39 JR石狩当別行きに乗車。
札幌駅ホーム
石狩当別着・・次に乗る列車が見えている。
途中下車しました。
7:45 新十津川行きに乗るにはまだ時間が在る・・
新十津川行きは、一日に一本だけです・・
駅舎を・・
<地名「石狩当別」の由来>
アイヌ語「ト・ペッ」=沼の・川
さて、7:45発新十津川行き
車内
次の駅は、「北海道医療大学」駅・・写真は撮っていない。
が・・
其処から先が廃線となる区間。
石狩金沢駅
<駅名「石狩金沢」の由来>
アイヌ語ではない、二説があり
明治時代に金沢からの入植者があった地域とする説
この辺りに在った樺戸集置監の看守長が自分の出身地にちなんでつけた説
本中小屋駅
<駅名「本中小屋」の由来>
アイヌ語ではない
樺戸集置監の受刑者を使って道路を開いた時に受刑者を収容する小屋の在った所
中小屋駅
<駅名「中小屋」の由来>
アイヌ語ではない
樺戸集置監の受刑者を使って道路を開いた時に受刑者を収容する小屋の在った所
月ヶ岡駅
<地名「月ヶ岡」の由来>
アイヌ語ではない・・
樺戸郡月形町の一部・・入植地で三枚橋および知来乙番外地と称したが、
明治35年に両村落を合わせたときから高丘地の多い地勢なので月ケ丘と呼ばれるようになった。
知来乙駅
<地名「知来乙」の由来>
アイヌ語「チライ・オッ・イ」=イトウの多い処
石狩月形駅
駅舎
行き違いで時間待ち
記念乗車券を売っているのか?
出発
<地名「石狩月形」の由来>
アイヌ語ではない・・
樺戸集置監のあったところで、歩いて5分ぐらいのところに樺戸集置監の本庁舎が博物館として残っています。
樺戸集置監は反乱士族や重罪犯が本州から送られてきて、開拓に使役された。
この地はアイヌ語で「シベツ太」と呼ばれていたが、
「死別」につながるとして樺戸集置監の初代典獄月型潔からとられた「月形村」に変えた。
豊ヶ岡駅
駅舎
<地名「豊ヶ岡」の由来>
アイヌ語ではない・・
付近がゆるい丘陵性の地形で、ほとんどが農耕地であり、
「五穀の豊かなみのりの地」であることを願って命名された。
何故か此処は秘境駅になっている?
札比内駅
<地名「札比内」の由来>
アイヌ語「サッ・ピ・ナイ」=夏枯れする・小石の・川
晩生内駅
駅舎
<地名「晩生内」の由来>
アイヌ語「オ・ショシケ・ナイ」=川口が・剥げている・川
札的駅
駅舎
<地名「札的」の由来>
アイヌ語「サッテク・ナイ」=やせている・川
浦臼駅
<地名「浦臼」の由来>
アイヌ語「ウライ・ウシ・ナイ」=簗・ある・川
簗(やな)とは、
川岸から列状に杭や石などを敷設して水流を堰き止め、
誘導されてきた魚類の流路をふさいで竹の簀の子などで捕獲する漁具。
鶴沼駅
駅舎
<地名「鶴沼」の由来>
アイヌ語ではない
付近にある沼にタンチョウが飛来したことから、「鶴沼」という地区名となった。
於札内駅
駅舎
<地名「於札内」の由来>
アイヌ語「オ・サッ・ナイ」=川口・乾いた・川
南下徳富駅
下徳富駅
駅舎
<地名「徳富」の由来>二説あり
アイヌ語「トック」=隆起
「トプ」=竹
新十津川駅到着・・9:28
駅舎・・
お客が多い・・
廃線と決まって・・
鉄道オタクがたくさん乗っていたのだ。。
帰りの10:00 石狩当別行き・・
日本で一番早い時間に出る・・終電車♪
始発&最終列車が帰ってゆく・・
反対側は行き止まり・・
一軒だけ・・お店が在る。
<地名「新十津川」の由来>
アイヌ語ではない・・
奈良県吉野郡にある十津川村に由来している。
1889年に十津川村で豪雨による大水害が起き、甚大な被害をもたらした。そこで
日本国内の未開墾地や外国のハワイなど移住案があがり、約600 戸、2489 人の被災民が北海道へ移り、
新十津川村と名付けた(後に新十津川町に改称)。
このこともあって新十津川町は十津川村の町章と同じものを使っている。
これで、
走破済み
です。
さて・・此処からは石狩川を渡って、
JR滝川駅に・・
<JR新十津川駅〜JR滝川駅へ>
バスやタクシーで行くことが出来そう・・だが、
徒歩です(笑)
町の中心部かな・・
バス停
<2017年7月8日(土)>
「7月一人旅、北海道RG参戦」RG一日目の晩に・・一泊でした
<新十津川温泉>
に一泊です。
女性軍二人は・・ホテルに・・
チェックイン
男性軍はコテージです・・
温泉は別棟に
<2017年7月9日(日)>
この日は、
さらに北上します。
<新十津川温泉の朝>
霧が出て涼しそう。
ホテルで朝食
バイキングです。
<地名「新十津川」の由来>
アイヌ語ではない・・
奈良県吉野郡にある十津川村に由来している。
1889年に十津川村で豪雨による大水害が起き、甚大な被害をもたらした。そこで
日本国内の未開墾地や外国のハワイなど移住案があがり、約600 戸、2489 人の被災民が北海道へ移り、
新十津川村と名付けた(後に新十津川町に改称)。
このこともあって新十津川町は十津川村の町章と同じものを使っている。
<2016年9月24日(土)>
「9月、秋の北国ゴルフ旅」「きょろ」さんとゴルフの後で・・
ドライブです・・
JR学園都市線に沿って北上です・・
JR学園都市線、月ヶ岡駅前
この小屋
駅舎ではないような・・
でも、中には時刻表が・・
国道275号線
無人駅ホーム
<地名「月ヶ岡」の由来>
アイヌ語ではない・・
樺戸郡月形町の一部・・入植地で三枚橋および知来乙番外地と称したが、
明治35年に両村落を合わせたときから高丘地の多い地勢なので月ケ丘と呼ばれるようになった。
以上