Bogey-Don
新造タンカー乗船の記憶

(2018年6月記載)
若いころに国外に出かけた記憶をまとめました。


<1978年11月〜1979年3月頃>

記憶を頼りに記載しているので、
詳しいことは・・間違っているかもしれません。

当時は、まだ34歳ぐらいでした・・・
新造船を引き渡したんですが、その船の保証技師として処女航海に乗船しました。
ノルウェーの船、船名は「ソ○○ォン」でした。

航海ルート図


1978年11月中ごろ
本船は、香川県の坂出の造船所より出航・・・
一路南下・・・

<船内生活@>
私は保証技師ですので・・エンジンルームの制御室に毎日出かけます。

エンジニア
 

船の中での私の処遇は・・
士官・・序列は船長と機関長の次・・三番目です。

この船には、女性が何人も乗っていました・・
無線士・エンジニアの奥さん・士官食堂のウェイトレス数名
士官実習中の作業員etc.
当時の日本船では考えられない・・・・

食事は士官食堂です・・
晩はバーがオープンします♪
呑み代はツケ・・下船時に払います・・・多分。

売店も在って、
タバコ、石鹸、歯磨き粉など雑貨品も買えます・・これもツケ♪

<マラッカ海峡>
インドネシアとマレーシアの間のマラッカ海峡を通過・・・





沈没船が・・・

 
マラッカ海峡を通過して、
<インド洋>
にでます。

インド洋では、赤道を通過した時に・・
赤道祭りがおこなわれました。

<船内生活A>
外気温が暖かくなったら・・・
デッキでの遊びが色々と催されます。


デッキゴルフ

ボールの代りに丸い木の板が使われています


煙突の横では・・

プール



???

<日程感覚>
船に乗っていると、一日が過ぎて・・翌日の景色も、
昨日と同じ海だけ(笑)
おまけに、時差が在って・・少しづつ時間も修正していきます、
毎日チャント・・
「今日は何日」
って確認しても・・景色は昨日と同じ・・

<紅海>
もう何日かは忘れましたが、
紅海に入ります・・
そこで???
港の名前も忘れたけど・・多分サウジアラビアのどこか??
此処で原油を積みます。

港のはるか沖合にブイがあります・・そのブイに船を係留します。
船からは陸地がおぼろげに見えるかどうか?
港からは船なんか見えません・・
しばらくすると陸からボートでローディングマスターが来ます。
彼が作業者を使って、
ブイの下にある原油ホース(超・太い)を持ち上げて本船のパイプに繋ぎます。
そして原油を船のタンクに流し込みます。
此処で、
原油を満タンにして、また出航です・・・

まだ、
目的地が何処かは決まっていません。
ゆっくり西に向かうようにとの指示が本社から来ます。
売る先を探しているようです(笑)

 
アフリカ大陸の南端
<ケープタウン>
を回り込みます・・
だいぶ南極に近いので、海は荒れています。
入港はしませんが、
食料などを陸から来るボートから並走しながら積み込みます。
この晩は、
大宴会♪
翌朝目覚めたら・・・自分の部屋ではなかった???
後は内緒です。

ケープタウンを過ぎたあたりで・・目的地が、
地中海のシチリア島と連絡が来ました。

<シチリア島>

もうすぐ入港です・・・

原油陸揚げ中・・
此処では、乗組員の数人と・・
ピサの斜塔
に出かけました。



斜塔の下で・・ワイン♪

<オイルショック>
丁度このころ、第二次オイルショック(1979年1月)が起きました。
ですから、
1979年1月ごろの事だと思います。

本船の予定は、シチリア島から真っ直ぐノルウェーに帰る予定でした。
が・・
どうやら、本社がオイルショックの情報を掴んだのか、
原油の陸揚げを済ませたら、
即行でリビアに・・翌朝8時までに行くように指令が・・
ところが、本船の公式のスピードでは3時間ほど間に合わない。

此処からが面白い・・
船長と機関長が喧嘩状態に突入・・
機関長は絶対不可能。

@船長が本社にダメと連絡
A本社から保証技師に聞いてみろと・・・
此処で私が呼ばれて・・
B数時間速める程度なら、やってみる価値は在ると・・・返事・・
でも
C機関長はNO・・・
私にお鉢が回ってきました・・
Dエンジンルームの指揮をわたしにさせるなら・・
やっても好い・・と返事。
ただし私の会社には絶対言うな・・との条件付き(笑)
と言うわけで、
一晩だけ私が機関長です・・爆・爆

E船長と私だけの内緒ですが・・
遅れる予想の3時間の内2時間は確実に稼げるけど、
のこった1時間は微妙
「どうせ紅海で積んだ時と同じで、港からは本船は見えない(爆)はず」
ってことで、
まだ朝の8時に着いていなくても・・無線が届くはずだから、
着いたぞーと連絡する・・船長曰く・・「GOOD IDEA」♪

結局、
リビアでも無事にオイルショック前の原油を満タン♪
にしました。

<アムステルダム>
原油はオイルショックで高額になった・・
即行でオランダ・アムステルダムに・・
此処で陸揚げです。

私は、
街に出かけて・・
北の方へのお土産にダイヤモンドの指輪を買いました。


当時のアムステルダムのお札

コイン

<スタバンガー>
これで、船はノルウェーに帰りました。
本社の所在地スタバンガーです。

本船は入港し・・
私は此処で下船・・色々と船内で買い物したり呑んだりしたんですが・・
総てのツケを船長が払ってくれました♪♪

さらに、
本社の招待で二日ほど宴会♪
一日だけの私の機関長免状も作っていたようです(笑)

よっぽど儲かったようで、
帰りの私の航空券をファーストクラスで用意してくれていました。
私の会社の用意した航空券は「払い戻して」ポケットに入れろって・・笑。

<スタバンガー〜オスロ>
双翼の航空機でした。
席も決まっていなくて、一般の通勤客が乗っていました。
飛び立つと、
翼をつないでいるワイヤーがブルブル振動して・・チョット不安(笑)

オスロでは、
会社の支社によって・・晩は宴会♪

<オスロ〜ロンドン>
航空券は、
ヨーロッパ界隈を一筆書きなら無料で移動できる。
ってことで、
パリで一泊・・観光です。

<ロンドン空港>
ロンドンのヒースロー空港に着いた時の出来事・・
入国阻止された・・爆。
実は香川県の坂出から出国するときに税関の手続きはしたけど・・
出国手続はをしていませんでした・・って、
何処でやるのよ???
本船の乗組員と一緒で好いと思っていたんですが・・
パスポートに出国の印が押してない(爆)
ノルウェーに入国した時は、何も言われてないし・・入国の印も押さなかった。
パリでも何も言われなかった・・しフランス入国の印もない・・笑。
もうユーロ圏は出入国自由だったらしい?

ところが、英国入国では!!
「君はノルウェーで生まれたのか?」
と・・
困ったね〜赤軍派で騒ぎが起きている時期でした。

ロンドン支社から迎えに来てくれていたので、
彼に話して貰って、やっと解放されたのです。

<ロンドン観光>
ロンドンでは、
約一週間ほどぶらぶらしていました・・
勿論夜は支社の人と宴会♪

昼間は・・

バッキンガム宮殿

衛兵の交代


あとは。。ぶらぶら・・

でも・・3日ほどは・・
大英博物館に通いました・・超・面白い♪

ロゼッタストーン

ミイラ

晩は・・一回だけですが・・
カジノに行きました。

<帰国>
ロンドンからは、
真っ直ぐ日本に帰ってきました。

結局、帰ってきたのは・・
1979年3月中旬
頃と思います。

以上