Bogey-Don
フィリピンの記憶

(2018年6月記載)
若いころに国外に出かけた記憶をまとめました。


<1997年12月〜1998年12月>

この間に3回、出張しました。
1997年12月10日(水)〜12日(金)
スービック1泊・マニラ1泊
1998年5月20日(水)〜22日(金)
マニラ2泊
1998年12月7日(月)〜9日(水)
マニラ2泊

当時、フィリピンにある修繕ドックの取締役でした・・
株主が私の務めている会社でしたから・・会社の代表として、
取締役会に3回ほど出かけました。
出かける先は、
マニラから西へ120Kmほどにあるスービック・・・
当時は、53、54歳でした・・・


スービックは、マニラから車で行きます。
その北側に、ピナツボ火山があります・・1991年6月に大噴火しました。

それまで、スービックには米軍の基地が在って・・
船舶修理工場の好いお客でした。

でも米軍が噴火のせいで撤退してしまって、
船舶修理工場には大打撃でした。

スービックは米軍撤退後も無税地区となっていて、
企業誘致を進めようとしているようです。

記憶を頼りに記載しているので、
詳しいことは・・間違っているかもしれません。

以下は当時の感想です・・
今はもう改善されていると思う?

記憶@マニラのマカティは危険
最初に行ったときに、一人でマカティに出かけたら・・
誘拐されそうになった、
いつの間にかに私の周りにたくさんの人が輪を作って・・
私が動くと輪も動くので逃げられない。
警察官も傍にいるのに見て見ぬふり・・爆。
一時間ほどで、交渉人が寄ってきて・・
車で汚らしい呑み屋に連れて行かれた・・
私は身分証明をできるものもキャッシュカード持っていなかったので、
結局は手持ちの金少々のペソ+ホテルまで車で送ってもらう代金、
日本円2万円で・・ホテルに送ってもらいました。
日本円はホテルの部屋にあるので、取り立て屋はホテルの近くの暗闇まで来ました。
このまま知らん顔をしてもいいけど・・
ビールを呑みながら、自分を開放してもらう交渉をしたのは・・好い経験だったし。
交渉相手も気に入ったので払ってやりました(笑)
マカティは別の顔も・・大手企業の本社ビルなどもあって・・
東京の新宿のような・・危険と背中合わせの近代都市??

記憶A生水は危険・・氷もダメ・・

記憶B英語が通じるのは楽・・

記憶C道路の渋滞が凄い・・道で止まっている車に物売りや物乞いがくる。

お土産・・


以上