Bogey-Don
新湊川&湊川隧道

2008年10月18日(土)

我が町には「新湊川」と名付けられた川が流れてます・・
この川、上流の「石井川」と「天王谷川」が集まって「新湊川」になってます。

<予備知識>

さて、何故「新」の字が付いているのか?
調べてみました・・暇な人は、読んで下さい(笑)

昔の「湊川」は、何回も氾濫して水路が変ったりしながら・・・
真っ直ぐに神戸港に流れ込んでたと思われます。

<明治18年>


当時の「湊川」は、典型的な天井側で堤防は平地より6m高く、
東西交通の障害になってたとのことです。

<大正12年>


東西交通の障害・神戸港への土砂流入防止・台風などの被害防止の観点から、
上図のように、「湊川」から「新湊川」に流れを変える工事がなされたのです。

「新湊川」が地図の左側の端で見えなくなってますね〜
ここからはトンネル「湊川隧道」です!

着工が、明治31年8月・・竣工が明治34年3月・・
ツルハシやノミによる手掘り作業だったとのこと・・吃驚・・
最大幅7.3m、最大高7.6mは当時としては世界最大級の断面規模であった。
長さは、当時で603.5m・・現在はさらに66m長くなってる・・

この工事は、民間の「湊川改修株式会社」によって施工され、
古い「湊川」の河川敷や埋め立て地を宅地整備してその収益で工事費を賄ったのです。

<現在の姿>


現在の地名・・湊川・・新開地・・などは、
古い「湊川」の流れの中に在ったところですね〜

<新湊川散策>

上の地図の<菊水橋>の少し上流から<湊川随道>までを散策しました。


右側から<菊水橋>に流れ込んでる天王谷川・・上流を見てる・・


下流・・突き当たったところで石井川と合流・・


<菊水橋>左側から流れ込んでる石井川・・上流を見てる・・

どちらの川も、阪神淡路大震災の後に護岸改修されてコンクリートの川になってる・・

でも、水鳥が・・・




<菊水橋>から上流を見たところ・・
二本の川が合流。

ここから「新湊川」
 

 
下流に向かって右側は自動車道路・・
左側は散歩道♪
ところどころ階段が付いてて、水面近くまで降りれます。。。
増水時は警報がなって危険を知らせるようになってる・・


最後に・・湊川隧道に入ってゆく・・
上は会下山。。

<湊川随道見学>

阪神淡路大震災で明治時代に造られたトンネルが被害を受け、
以前より大きなトンネルを新設して、古いトンネルの一部が保存されてます。

毎月一回、このトンネルが一般公開されます・・
10月18日(土)に見に行きました。。





 
左:古いトンネルまでの通路
右:湊川隧道・・床面は見学用で平坦にしてある。


昔の姿♪


壁・・レンガ積


床・・切石

中は涼しい・・地上より5度ほど低いようです。

昔の人は凄かったね〜脱帽。。。

<後日談>
2008年10月20日(月)

なんとなく、出口も見たくなって・・野次馬♪
行って来ました・・家から歩いて30分。。


こちらの方がカッコ良いね〜


なんと書いてあるのか??

調べたら、「老子」にある言葉です・・
「天地が永久であるように、物事がいつまでも続くこと・・」
湊川随道が堅固で長持ちするように祈念したのだろうか?

入り口は・・

「湊川」ですね〜
どちらも、湊川隧道に付けられていたものを取り外して、
新しいトンネルに取り付けたとのこと。

神戸市のホームページからの抜粋・・
トンネルの記念碑的地位の象徴である扁額は、小松宮彰仁元帥の揮毫によるもので、
吐口側に『天長地久』、呑口側に『湊川』と記されている。
このうち『天長地久』は「老子」に見られる言葉である。
扁額の書体は漢隷書で、荘重美の曹全碑をよく研究した婉麗な書風の筆跡となっている。

 湊川隧道は、阪神大水害、第二次世界大戦、
さらには阪神・淡路大震災といった災害にも耐え抜いて存在しており、
その技術レベルの高さとこれらの歴史を後世に伝える土木構造物として高い価値を有している。


とのこと。。。

その後、ホームページもできています・・↓
http://minatogawa-zuido.com/

一般公開の日にはコンサートなどが行われるようになっています・・
入場無料♪
湊川隧道ミニコンサート
参照


以上