Bogey-Don
駒ヶ林町散歩・歴史探索

2009年1月5日(月)

以前からよく行く温泉「あぐろの湯」は、我家から地下鉄で4駅・・
駒ヶ林駅の近くに在ります。

温泉に行く途中で見る町の風情は、小さな工場の在る下町風・・
ですが、由緒在る街でした(笑)

地下鉄の出口に在る、町の案内図「駒ヶ林のまちなみ」には、

・・・・
「こまがばやし」の名の由来は、神功皇后が朝鮮に出兵したとき、
高麗(こま)からやってきた多くの帆船の帆柱が林のように見えた、
あるいは「高麗返し」が転訛したなどと、いくつかの説があります。
駒ヶ林の歴史は古く、
奈良から平安時代にかけて遣唐使の出入りが大輪田泊にあった頃、
その船繋所であったといわれています。
また平清盛が治承三(1179)年安芸の宮島に参詣するときに、
和田岬をまわって「小馬林」に着いたという記述も残されており、
さらに源平の戦いでも平家の軍船が沖に集まったといわれています。
などなど・・・・


海辺の小さな町です、が・・色んな面白そうな所が在りました♪

<駒竹稲荷神社>

道路に背中を見せてます・・正面が南向きになってる。




小さいながらも、なかなか良い雰囲気・・

<海泉寺>
 
大きなお寺です・・




細工が綺麗ですね〜

 
入り口に鐘楼の台が在る・・鐘楼は震災で壊れたらしい・・
湯川秀樹博士がなずけた鐘とか。。


お堂が在るのです・・

 
中には湯川秀樹博士の位牌が??

<駒林神社>

この神社も道路に背間かを向けてます・・正面が海を向いてる・・

 
源平の争乱で由緒が??となったとか・・


今は中止されてるが、平安時代に始まったとされる左義長が有名らしい。。

・・・ネットより抜粋・・・
祭神、応神天皇、相殿は猿田彦命、境内には別に三宝荒神社がある。
    この神社には、永延二年(988)正月に始められたという古い左義長(とんど)の行事があり、

この社には慶長、元和、寛永、の左義長の古記があり、
その当時の頭番(とうばん)や参加した人の名も記してある。
左義長はその後ハデになり、争いは壮絶をきわめ、

「駒が林の喧嘩祭り」ともいわれていた。が前面の浜が次第に埋め立てられ、
やる場所がなくなり、昭和三十四年一月十五日のを最後に中止することになつた。
               地域の伝統を後世に伝えるため、その後何度か復活している    
・・・・


<長田港>

今でも神戸では漁獲量の多い漁港です♪

<蛭子神社>



良い雰囲気・・漁業関係者が建立したと書かれてる。

<幸殿社>



うろついてて、簡素な神社を発見・・
・・・ネットより抜粋・・・
宝暦二年(1752)、旧野田村の鎮守として創建されたとつたえられる。
境内に幸殿松と称する老松があり、
当地の産土神として崇敬されていたが明治時代に枯損したという。
「摂津名所図絵」にもそれらしき松がえがかれている。
ここの石積みの壁は皆亀甲形の石積みである。

<平忠度胴塚>
 
探すのが大変でした・・すぐ傍の交番で聞いても判らなかった??
小さなものです。。。



 

・・・ネットより抜粋・・・
平清盛の末弟で、文武ともに優れ、
一ノ谷では合戦ではからめての大将で戦いに敗れ落ちのびていたところ、
源氏の武士、岡部六弥太忠純と組み合いとなつた。

忠度が六弥太の首を切り落とそうとしたところ、
六弥太の供の者が駆けつけ忠度の腕を切り落とした。
 これで最後かと思った忠度が念仏を唱えはじめ、

六弥太が首を切り落としたという。 

<平忠度腕塚>
 
表通りに案内が在るけど・・入ると道が細く入り組んでて迷う(笑)





この街は、戦災でも被害がなく・・震災も免れているので、
狭くて細い路地がたくさん在って、民家と民家の間に歴史の跡が埋もれていました♪
由緒在る街でした・・

以上