Bogey-Don
森林植物園〜大師道、散策


<2021年2月16日(火)>

この日は、良い天気♪
急に思い立って、森林植物園から途中は大師道を辿りながら
諏訪神社までトレッキングです・・
神戸電鉄湊川駅10時半ごろ発で北鈴蘭台駅から、
無料バスで・・
森林植物園に着いたのが11時15分・・


@森林植物園正門

此処から植物園の中を・・正門まで移動します。



冬景色





面白い形の実がたくさん落ちていた・・





西門が見えてきました・・

A森林植物園西門

自動車道路(神戸葺合線・再度ドライブウェイ))にでます。


此処を左に、右側に歩道がある・・

地図1



少し進むと、歩道は自動車道(神戸葺合線・再度ドライブウェイ)
と分かれました、

B脇道 に進みます・・



おっと・・

道しるべが・・とりあえずの目的地は「学習の森」

しばらくは・・自動車道路と着かず離れず・・






C39番道標

この辺りからは、自動車道路と離れて行きます・・



西門の方向から来たから・・・此処で石の階段を登る・・

すぐに下りに・・

どんどん下ってます・・

D40番道標

道しるべがなければ・・迷うね〜・・
また西門に戻ってしまう道です(笑)

この先で、右に行く道があった・・

E行き止まりの道

行ってみたら・・あらら、
また戻って

さっきの道を左に・・

下の道に出て、左側には・・

F「学習の森」の標識

神戸市立森林植物園のホームページより抜粋
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「学習の森」(旧教育植物園)は、
1983年より「学習の森」として一般開放しており、六甲山地の自生植物を主に収集・植栽し、
多種の野鳥や昆虫たちの生息する環境づくりを行っています。
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とのこと
右へ・・

自動車道路が見えている・・そっちへ・・

通り過ぎて振り返ると・・

G自動車道(洞川道) に出ました・・

なるほど・・
この地図によれば、次は東に行って「再度公園・三宮」への道に・・

道標によれば・・外国人墓地の方向・・






どうやら此処らしい・・

H洞川湖畔へ

右折して、山道に入ります・・



綺麗な水の小川・・


右側には湖が・・

洞川湖

ダム湖ですね〜

釣り人がいます・・
湖の南側を回り込みます。

だんだん別の川筋に近づきます・・



此処は真直ぐに・・

橋を渡ると・・

I仙人谷への道標

此処を左折です・・

このへんが仙人谷なの??





山道はジグザグに登っていきます・・

J修法ケ原砂防ダム の横にでます・・



前方に道標・・

地図2


T字路

さてっと・・

此処は左折ですね〜

再度公園の方へ



自動車道路が見えます・・

K再度公園 の北側に出ました・・

左側には、
L神戸市立外国人墓地
があります・・

行ってみましょう・・





中には入れないようですが・・

展望台には行けそうです・・



展望台



どこの街かな?
西の方角ですから、鈴蘭台の街でしょう・・・












神戸市立外国人墓地の情報は↓
神戸市:公式トップページ (kobe.lg.jp)
観光・文化・産業>観光・レジャー>六甲山>国名勝「再度公園・再度山永久植生保存地・神戸外国人墓地

と辿れば出てきます・・それによると
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1868年の開港と同時に、現在の花時計と大丸神戸店を結ぶ線から南側に外国人居留地が設けられました。
開港直前に亡くなった外国人のために設けられた小野浜墓地、
のちに小野浜墓地がいっぱいになって1899(明治32)年に設けられた春日野墓地の両墓地を統合して再度公園に移設されたのが、
現在の神戸外国人墓地です。
移転は1936(昭和11)年に市会で議決されましたが、その後の1938(昭和13)年の水害や、
太平洋戦争の勃発により、移転が完了したのは1961(昭和36)年でした。
墓地内に埋葬されている方は、近代神戸の黎明期に活躍した技術者や教育者、宗教者など、世界各国の方、約2900名にのぼります。
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とのこと・・

て・・・

また先ほどの所に戻って・・今度は南に・・



おやっ・・右側に・・

ちょっと寄り道・・右折です・・


M修法ケ原 大師堂









お稲荷さんもある・・

引き返します・・

この辺が・・
再度公園

池が見えてる・・

ログハウス

再度公園については↓
神戸市:公式トップページ (kobe.lg.jp)
観光・文化・産業>観光・レジャー>六甲山>国名勝「再度公園・再度山永久植生保存地・神戸外国人墓地
と辿れば出てきます・・それによると
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再度山永久植生保存地を中心として古くから良好な森林が保全・育成されてきた修法が原周辺は、
1937(昭和12)年に再度公園として整備されました。
昔から、居留外国人による登山や、愛好家たちによる毎日登山、
また近年ではトレイルランニングや自転車による利用など、幅広い利用を受け入れてきた公園です。
第二次世界大戦後は進駐軍による接収を受けていた時期もあり、
また2004(平成16)年まで営業していた修法が原池のボート遊びなど、ご記憶にある方も居られるかもしれません。
尚、「再度山」という名前は、弘法大師が中国に渡られる前に無事を祈願し、
その後戻ってこられてもう一度、修法されたことによるとされています。
また園内では定期的に「こうべ森の小学校&森のようちえん」「こうべ森の学校」などの
市民参加の森づくり活動が、市民・企業・行政の相互協力により実施されています。
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N修法ケ原池




池に沿って・・右側を回り込みます・・

建物の先では、階段を上がらずに左側の小路に・・



自動車道路が見えます・・

道標・・ここで道路を渡って



大龍寺の方向へ・・
此処からが
O
大師道 らしい・・

大師道 とは・・NETで調べたところ・・
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諏訪山の山麓から再度谷を経て再度(ふたたび)山へ向かう道は、「大師道」と呼ばれている。
弘法大師(空海)が二度登ったことから再度山の名がある。
弘法大師が延暦23年(804年)に入唐するに当たって、船旅の無事と学問成就を念じてこの山(当時「摩尼山」と呼ばれていた)に参詣した。
唐から戻った際、無事帰国できたことを感謝すべく、再び(再度)登山し修行した。この伝説に由来するといわれている。
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とのこと・・

途中の左側に道がある・・けど、

この道は、再度山山頂に登る道でした・・
真直ぐです・・



道標・・



また道標が・・

此処で左折、

P大龍寺 への分かれ道へ・・





大龍寺への参道に出ました・・

この道も大師道です・・


Q大龍寺





先ほどの参道に戻ります・・

大師道です・・





仁王門が見えてきました・・

仁王門

大龍寺のホームページ↓
ようこそお参りくださいました (tairyuji.com)
の大龍寺縁起によれば・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・省略・抜粋・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昔々、1250年程昔のこと。
和気清麿公が寺塔建立に適した地を求めて六甲山系の山へと向かわれました。
そこで弓削道鏡の刺客達に襲われたが、突如大きな龍に救われた。
そのことから勅許を賜り、一寺建立され聖如意輪観世音菩薩を本尊として伽藍を整えました。
開山から40年程過ぎた頃、若き日の御大師様、空海上人が当山を訪ねられました。
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その後の縁起についても詳しく載っています。


階段を下りて、振り返ると道標が・・在ります・・

R猩猩池 への道標

此処で、右側の山道に入るのが正しいルートかな?

でも、

仁王門下の広場の西側にも・・

S大師道に降りる階段 がありました・・





家が見える・・山道の出口、右側に・・
(21)再度水場地蔵尊

振り返ると・・
鯰学舎

料亭らしい・・・ホームページがある↓
神戸・日本料理 鯰学舎 懐石料理 (nengakusha.jp)

さて・・進みます・・



猩猩池の方向に・・

左の道は行き止まりだが・・

何かある・・

(22)猩猩池(しょうじょういけ)の碑



読めない?NETの中から読めそうな写真を探してきました・・

漢文らしい・・やはり読めない(笑)

元の道です・・


(23)猩猩池(しょうじょういけ)

涸れている・・

地図3



正面に道標が・・


(24)諏訪神社 への道標・・




(25)論鶴羽砂防ダム
此処から先の川は・・「再度谷川」









左側に・・・

神社かな??

でも・・凄いことになっている・・


この辺は廃墟が多い・・

これは・・

大師道の道標かも??






(26)多々部砂防ダム






(27)再度谷川の橋

橋を渡るとT字路になってます、
そこで右折し川の左岸をまっすぐ進みます・・
地図では此処に「弘徳寺」が載っていますが・・無くなっています?



(28)諏訪山公園 への道標



此処は・・橋を渡らずに
大師道から分かれて諏訪山公園に向かいます。

真直ぐ・・細い道に・・


地図4


(29)再度ドライブウエイ への分岐

此処は右の道です・・



此処は左へ・・

右側は低くなっていて・・

人家がたくさん・・

右側は・・





此処は右の道・・


(30)展望が開けた

神戸の街が見えた・・が、
見えたのは此処だけでした。


道標・・

小さな字で・・ビーナスブリッジと・・
此処で
(31)ビーナスブリッジの方向に・・

凄い登り坂です・・爆。


(32)上の道路




(33)ビーナステラス






ビーナスブリッジを通って下に降ります。




(34)諏訪神社へ



鳥居が見えた・・


(35)諏訪神社







参道を下ります・・



兵庫県神社庁 (hyogo-jinjacho.com)
によれば・・・
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御創建は400年頃、仁徳天皇の御代八田皇女の離宮鎮護神として奉鎮された。
後、この山を諏訪山と称し、神社所在地の地域は元八部郡中宮村に属していたので、古くは中宮とも称した。
稲荷神社として、安永7年(1778)12月に御神託により伏見稲荷大社より大坂奉行所稲荷別当権大増都年行事職万宝院法印等の勧請による。
崇敬は古来より当地の大氏神とし武門武将の尊信多く、寿永頃(1182〜)源義経公が武運を祈ったと伝え、
尼崎藩主松平忠告五男万橘君の病気平癒を祈り、その奉賽に石灯籠を献上、
同松平忠海は代参をたて御初穂料の献上をはじめ奥方、若君の奉幣献上は再三であった。
現在では諏訪山のお稲荷さんと親しまれ、商売繁昌、健康長寿の守護神として信仰厚く、
氏子だけでなく神戸在住の外国人、殊に中国人の崇敬者が多く、
明時代の偏額も奉納されており、中国式参拝道具も備えられている。
社殿は寿永3年(1184)兵火にあい、正応3年(1290)中宮村大塚賀左衛門が再建し、
その後、再改築があったが、大正13年(1924)に改築した。本殿は流造り、幣殿、拝殿は入母屋造り。

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とのこと・・

急坂を下れば・・

神戸の街に出ます・・


下の道路に出ました・・

此処から登るのは、大変そうな・・笑。

(36)諏訪山公園下バス停

午後4時15分着
此処からバスで家に帰りました・・
約4時間の山歩きでした。

2024年1月
散歩の途中でJR神戸駅付近で大師道の道標らしいものを発見
そこで
大師道、全ルート走破
を達成しました。

以上