Bogey-Don
兵庫七福神めぐり


最近になって、
神戸公式観光サイトFeelKOBEに紹介されている、
兵庫七福神めぐり
に興味が出てきました・・
いつか歩いてみようと思っていた。


この日は良い天気、
急に思い立って出かけました・・

<2023年12月28日(木)>
湊川公園駅から地下鉄で和田岬駅へ・・

@和田岬駅

10時半ごろです・・
駅のエレベーターをを出たら

北に行く道に・・

左側に見えてきました・・

A和田神社の大鳥居

兵庫七福神受付との看板がある

拝殿

奥には本殿がある・・

3柱の神様がお祀りされている

FeelKOBEによれば↓
神社の創建は詳らかにはなっていませんが、
淡路島から蛭子大神(ひるこのおおかみ)が和田岬にたどり着いたのが始まりと伝えられています。
古来から「蛭子の森」といわれており、蛭子大神を祭祀した最古の場所という話も。

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以下、ところどころの説明はFeelKOBEより抜粋してます。

拝殿の左側には

和田神社では、七福神の辨財天(べんざいてん)をお祀りしています。
これは、御祭神の市杵嶋姫大神が辨財天と同一視されている神様ということから。



境内には、右側から火を司る神様を祀った「秋葉神社」、
道開きの神様を祀った「猿田彦社」、
京都伏見稲荷神社より勧請された「高倉稲荷神社」なども点在しています。


更に深く知りたければ、
和田神社公式サイト (wadamiya.jp)
を参照してください。

地図1


さて・・次に向かいます・・鳥居を出て北へ・・

B次の交差点

左折して、薬仙寺へ・・



途中で右折・・




C薬仙寺



飛鳥時代から奈良時代に活動していた行基が、天平年中(729〜748年)に開いた長い歴史をもつお寺です。
創建時は法相宗でしたが後に天台宗、南北朝時代に時宗に転宗して現在に至ります。
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とのこと

本堂

中に入れました・・



ご本尊の薬師如来坐像が国の重要文化財。
同じく「絹本著色施餓鬼図」も国の重要文化財に指定されており、奈良国立博物館に寄託されています。


七福神の寿老人が祀られています。本堂内にも寿老人の像が安置されているので、ぜひご参拝を。



こちらの「萱の御所跡碑」は平清盛が後白河法皇を幽閉した建物跡で、
三間四方の粗末な造りから「牢(楼)の御所」ともいわれているそう。


後醍醐天皇が隠岐島から京へ帰る途中に病気となり、
お寺の境内に湧く泉の水をいただくと、たちまち回復したと伝えられている井戸の跡。

境内の裏に回ると・・

兵庫運河に出ます・・

遠くに

新川橋が見えてますね〜

さて・・前の道を北へ・・


D清盛橋を渡ります・・



西側・・住吉橋が見えています

東側

交差点の向こう側・・

右側には清盛塚

まっすぐ進みます・・


左側に
E真光寺



広い境内です

本堂

宗派は時宗。もともとは「光明福寺(こうみょうふくじ)」というお寺でしたが、
時宗の開祖である一遍上人の弟子・二祖真教上人が伏見天皇に奏して、「真光寺」という寺名になりました。

県指定文化財「一遍上人御廟所」の五輪塔は、南北朝時代のものといわれています。

「真光寺」があるこの場所は、一遍上人が全国を旅している途中に立ち寄り、
お亡くなりになられた御廟所(霊を祀っているところ)。


境内には平清盛が弁財天を勧請したときに、この井戸の水でお茶を立てて献上したといわれる「御膳水の井戸」や、
撫でると長寿がかなう岩「真光寺亀」

さてっと、観音堂に・・



「真光寺」には、七福神の福禄寿がお祀りされています。
境内の観音堂には、正面中央に観音像、右に福禄寿、左には毘沙門天の像がある







毘沙門天

更に深く知りたければ、
真光寺|神戸市兵庫区 時宗 西月山 真光寺 (jishu-shinkouji.jp)
を参照してください。

さらに北へ・・

左の壁に・・

壁画が・・




F広い交差点

更に北へ・・


地図2


左側に・・
G能福寺



805年に天台宗を開いた最澄が創建したお寺で、最澄の国内最初の教化霊場といわれています。
桓武天皇の勅命を受けて唐の国に留学していた最澄は、その帰りに現在の兵庫港である大輪田の泊に上陸しました。
当時の庶民が最澄の来訪を歓迎し、佛教の教えを請うと、
最澄自ら作った像を御堂に安置して「能福護国密寺」と称したのが「能福寺」の始まりです。


日本三大仏のひとつ「兵庫大仏」があるお寺
初代大仏は1891年に建立されましたが、
第二次世界大戦中の1944年に金属回収令によって解体されてしまいました。
現在の大仏は二代目で、大仏建立100年目の平成3年に再建されたものです。

本堂

御本尊は秘仏・薬師如来。本堂は歴代皇族の墓所である「京都東山月輪御陵」の拝殿を移築したもので、
天井部分は当時のまま。歴代天皇が同じ天井を眺めていた。
「能福寺」にお祀りされている七福神は、毘沙門天
秘仏なので一般公開はされていませんが、本堂に向かって手を合わせましょう。



1980年に再建された「平相国廟」
清盛が都を福原(現在の兵庫区)に遷都するときに、平家一族は能福寺に帰依し、
清盛の甥である小川忠快法印は境内に七堂伽藍を建立するなど、大いに隆盛した。

更に深く知りたければ、
能福寺 (nofukuji.jp)
を参照してください。

さてっと

来た道を南に少し戻ります・・


先ほど通った
F広い交差点で右折・・



右側に見えてきました・・

H柳原天神社



御祭神は、学問の神様としても有名な菅原道真です。
901年に道真が太宰府へ向かう途中に、暴風雨に遭い、和田岬に上陸したことから、
1167年に太宰府の安楽寺から分霊を祀ったことが神社のはじまりといわれています。



「柳原天神社」では、良縁や夫婦円満、子宝、財運など、
さまざまなご利益がある布袋尊がお祀りされています。





境内には七福神全員が揃った石像も・・

「夫婦いちょう」と呼ばれているパワースポットで、
この木に触れると夫婦円満、子宝、良縁のご利益があると伝えられている。

次は・・
国道2号線の下を潜ります

道は北北西に斜めに進みます・・


右側に・・
I柳原蛭子神社





「柳原蛭子神社」の始まりがいつだったかは分かっていませんが、
1691年に兵庫津の「寺社改帳」に神社に関する記載があることから、
元禄以前から祀られていたと考えられています。


御祭神は、蛭子大神(ひるこのおおかみ)と大物主大神(おおものぬしのかみ)の2柱の神様。
蛭子大神とは、商売繁盛の神様として有名なえびす様。




境内には江戸時代に建てられた石灯籠がある

正徳2年(1712年)

大鳥居の近くには江戸時代の「元禄15年」と記された石造りの手水鉢が残っています。

元禄15年(1703年)
この年末に赤穂浪士が吉良邸に打ちいった年です・・

更に深く知りたければ、
柳原のえべっさん - 兵庫・柳原 蛭子神社 (hyogo-ebisu.com)
を参照してください。

さてっと・・

此処からすぐ東側に出ます・・

J福海寺







1336年に京都合戦で敗れた足利尊氏が新田義貞の兵に追われていたところ、
福海寺の前身である針が崎観音堂に身を潜めて一命を取り留めたことがありました。

その恩返しとして、京都正伝寺から在庵圓有(ざいあんえんゆう)禅師を拝請し、
「福海寺」を開いたのがお寺の始まりといわれています。


「福海寺」にお祀りされているのは、大黒天。
福海寺に大黒天が祀られているのは、開基である足利尊氏が大黒天を強く信仰していたことが理由の一つ。

左肩に大きな袋をかつぎ、右手には打出の小づち、米俵をふんでいる大黒天は七福神の中でも、
福の神として信仰されており、財運福徳のご利益があるといわれています。
本堂には福々しい大黒天像と、
その後ろに大黒天のルーツといわれるインドのマハーカーラー像が鎮座しています。
マハーカーラー像の方が大きいね〜

イタリア・ミラノで活躍しているアーティストの長尾智子さんがデザインした
オリジナルキャラクター「だいこくちゃん」像を設置しています。


更に深く知りたければ、
宗教法人 福海寺 (fukukaiji.com)
を参照してください。

此処からは歩いて、
我が家まで帰ってきました。

家に帰り着いたのは、午後1時半ごろ・・
途中で道に迷ったりして・・
3時間、13000歩でした。


以上