Bogey-Don
須磨山麓寺社巡りB
妙法寺駅〜板宿駅


<2024年2月23日(金・祭)>
2月17日(土)の
須磨山麓寺社巡りA
その続きを・・
この日は、地下鉄です・・

@地下鉄、妙法寺駅

11時から歩きだしました・・
とりあえずバス停を通って・・

阪神高速31号線の高架の方向に・・

阪神高速の下で、左折・・

その先で・・右折・・


地図1


A蓮池交差点

此処を右折・・




B筆前橋

下流

川は妙法寺川





C乗越交差点

此処から先の道路は、県道22になる・・

右側の歩道が無くなった・・
左側の道に渡る






D妙法寺小学校前



道路の向こう側に・・

毘沙門天妙法寺の石碑が・・
そっちに向かいます。

妙法寺橋

上流

下流




E妙法寺



須磨観光施設協議会 - Suma Tourism Association
によれば、
738(天平10)年、僧行基が開基しました。 平清盛が福原遷都の際、
平安京の鞍馬になぞらえ、ここを新鞍馬と称して、福原京の鎮守の地として保護したといわれています。
本尊毘沙門天は、平安時代の木像で、国指定重要文化財です
とのこと・・









NET検索より↓
高さは2.02m。花崗岩で造られ 創建は応安3年(1370)2月23日
浄照という僧によって建てられたそうである。
南北朝時代の宝篋印塔の特徴である隅飾突起がやや反っているのが判る。
この塔は妙法寺より北の車村への道筋に建てられていたものを移築した
ものだそうである。
とのこと・・・





毘沙門天









さてっと・・
元の道の戻って・・

妙法寺の向かいにも赤い旗が・・

行って見ます・・

階段の下の細い道に入ります・・


F子安地蔵尊





県道22に戻ります・・

D妙法寺小学校前

さて、また県道22を東に・・

地図2






G堂ノ下バス停


H上与市橋

渡ってすぐに・・


I那須与市宗高公之墓





「平家物語」で海に浮かんだ扇の的を弓で射貫いた
との伝説の主人公

須磨観光施設協議会 - Suma Tourism Association
によれば、
那須与市宗隆は、屋島で扇の的を射た若武者です。与市は下野(しもつけの)国(くに)(栃木県)那須の庄の住人で、
郷里の那須の庄にも墓所はありますが、
須磨では晩年に与市が北向八幡宮へお礼のため参詣し、病のためこの地で死去したと伝えられています。
この墓に参詣すると、年老いても「しもの世話にならない」との信仰があり、毎月7日のご命日には多くの参詣者が訪れます。

周りは普通のお墓もある・・

さてっと・・県道22に戻ります・・

J下与市橋

道の向こう側に・・
北向八幡宮&那須神社参道との文字が・・

行って見ます・・

階段の上は・・

行き止まり・・あらら・・
すぐ傍が、
K那須神社前のバス停


今まで歩いてきた、
道のどこかに、上の神社に行く道が在るらしいが・・
この日は、時間が少ないので・・
とりあえず前に進みました。

以下は
翌日<2月24日(土)>
に再度ここまで来て探した記録です。
G堂ノ下バス停

右側の歩道を歩いて・・
少し行ったところで、道の左側の工事中の場所の上に
神社らしきものが見えてます・・

一旦、道の左側にわたって・・

工事中の看板の所に入ってみると
左側にはL上に行けそうな道がある・・

行って見ましょう・・



この手前の細い道を見たら・・
M北向八幡宮発見・・





N北向八幡宮本堂

須磨観光施設協議会 - Suma Tourism Association
によれば、
源平合戦のとき、那須与市宗隆がこの神社を守護神として戦場にのぞみ、武運をまっとうしました。
その後、与市はお礼のため再びこの地を訪れ参詣しましたが、たまたま病にかかり、この地で死去したという伝説があります。

1921(大正10)年ごろ、境内に与市をまつる那須神社を勧請しています。





石造笠塔婆



那須神社

稲荷明神

本堂の横に石段がある・・

上の広場に出て・・・

左に曲がると・・

あらら・・・

O明光寺(萩の寺)



須磨観光施設協議会 - Suma Tourism Association
によれば、
古くは明光寺といい、1650(慶安3)年の検地では阿弥陀堂と呼ばれ、1692(元禄5)年には伽藍も建立されました。

一時は禅道場として栄えましたが、火災により衰えてしまいました。
大正時代に住職が境内に十数種の萩を植え、「萩の寺」とよばれるようになりました。
9月中下旬の満開期には多くの参詣者でにぎわいます。

奥には墓地がある・・

さてっと・・
お寺の参道を通って下に降ります・・



振り返ると



下に降りて・・

右を観たら・・
K那須神社前のバス停でした・・



此処から神社に登る参道は・・
工事で、無くなってしまうのだろうか??
バス停の名称を変えないと・・笑。

地図3


此処から先は
<2月23日(金・祭)>
に戻ります。
県道22です・・

右側に Pお寺の看板が・・

行って見ます・・

なんか・・雑草とお地蔵様??

反対側にも・・??

さらに進むと・・

???
西念寺

チョット地図と寺の位置が違ってるような・・
引き返します。

県道22です。
西行寺は行く気にならなかったので、
まっすぐ進みます。




Q行者橋


口の川バス停




R口の川橋

上流

下流


地図4






地図3


S禅昌寺前交差点

此処で交差点を渡り・・

お寺の方に・・

妙法寺川を渡ります・・

上流

下流


(21)禅昌寺山門

須磨観光施設協議会 - Suma Tourism Association
によれば、
山門は江戸時代の彫刻職人、左甚五郎(ひだりじんごろう)作と伝えられています。

熊野神社

鐘楼

(22)禅昌寺



須磨観光施設協議会 - Suma Tourism Association
によれば、
境内の開山堂にぶらさがるひょうたんは「スズメのお宿」として知られています。
紅葉寺とも呼ばれるとおり、広い参道わきの紅葉はすばらしく、
周辺の景観等の調和は古来より有名です。
とのこと・・
開山堂は多分、お寺の奥に在るらしい・・残念。

地図5


県道22に戻ります・・


(23)明神町バス停




(24)明神橋

下流


(25)川上町3丁目交差点

この交差点の右側から来る道は、

2月17日(土)の
須磨山麓寺社巡りA
の最後の方で、須磨学園から降りて来た道です。

地図6


(26)前池町3丁目交差点

此処で左側に渡ります・・

県道22から外れて・・
商店街の方に。


(27)前池町バス停



11番のバスに乗って、
家の近くまで帰ってきました。

家に帰り着いたのは・・午後2時半ごろ
約14000歩でした。

以上