Bogey-Don
須磨寺探索

<2024年3月1日(金)>

須磨寺は過去に何回か行ってますが、
お寺の全貌を見てはいません。
ってことで
一度は全貌を見ておこうと出かけました。

@山陽電車、須磨寺駅

11時ごろに駅に着きました。
駅を出てすぐ北側には・・

A平重衡とらわれの松





さて、
通りを北へ・・


地図1



次の交差点の手前の左側に・・
弘天さんの由来



今歩いてる道は「知恵の道」とのこと・・

B交差点

横断歩道の向こう側には・・
須磨霊泉





さて、
須磨寺の参道に入ります・・

少し歩くと、右側に原っぱが・・
島守の広場











更に進むと・・

そろそろC須磨寺の境内です。
とりあえず、
此処で須磨寺のホームページ↓
大本山 須磨寺 (sumadera.or.jp)
を・・

参道の右側に
D祈の回廊・亜細亜万神殿(あじあばんしんでん)

(ネパール大震災復興記念堂)

大本山 須磨寺 (sumadera.or.jp)より抜粋↓
須磨寺に寄進された東南アジアやインドの石仏の安置、
及び、ネパール大地震被災者慰霊と復興を祈る場として、整備されました。
平成28年(2016)4月25日落慶。







マニ車がある・・

地図2


参道の左側には
E正覚院(しょうかくいん)

大本山 須磨寺 (sumadera.or.jp)より抜粋↓
現存する塔頭寺院の一つで、大正十四年失火により焼失し、昭和十三年に現在地に再建された。
本尊は愛染明王で、大日如来を本地とし、衆生済度のため三目六臂の身を現じ、
知恵の弓、方便の矢を御手に執持し、貧窮・飢渇・疾病・災難等の苦厄を払い、
幸運をひらき、無量の福徳、愛敬を授けるという。
霊験あらたかなこの明王信仰の効力により、商売を業となす人や芸を以って世に立つ人、
また愛敬を肝要とする婦人の参詣が絶えない。
尚、仁王門前の放生池のほとりには、
山本周五郎の処女作「須磨寺付近」の文学碑や、中国の石仏(楊柳観音)が安置されている。

龍華橋

の右側には・・正覚院・・新しい建物

多分、永代供養の建物かも・・

まっすぐ進むと
F仁王門

大本山 須磨寺 (sumadera.or.jp)より抜粋↓
仁王門は、源三位頼政の再建、仁王力士は運慶及び湛慶の作と伝えられています。

仁王門の手前には
左の方に行く道がある・・
須磨寺本坊

と刻まれてる、
行って見ます。

G本坊
奥の建物は・・ 庫裏かな?

それともこれが
庫裏のようだ・・

大本山 須磨寺 (sumadera.or.jp)より抜粋↓
本堂と共に須磨寺一山の中心で真言宗須磨寺派の宗務所ともなっており、
書院は阿弥陀如来を本尊とする持仏堂でもあります。
本坊は一絃須磨琴の保存会本部、稽古場にもなっており、その他、各種法要などが営まれています。
庭前には、滝の流れる庭、芭蕉句碑、真鍋豊平の歌碑などがあります。



書院

さて・・
F仁王門に戻ります・・

潜って右を見ると

H弘法岩五鈷水



更に右の奥には
千手観音

観音池





亀・・・


仁王門の左側には
I桜寿院



大本山 須磨寺 (sumadera.or.jp)より抜粋↓
塔頭三院の一つで阿弥陀如来を本尊とし、右の脇侍に大日如来と浪切不動明王、左に弘法大師と秘鍵大師を奉祀する。
本堂横には昭和九年九月、正岡子規三十三回忌に、弟子の一人である青木月斗により建立された、
「暁や白帆過ぎ行く蚊帳の外」の句碑がある。
この句は子規が明治二十八年、結核治療の為「須磨保養院」での一ヶ月程の療養中に作ったものであり、
刻字は子規の『寒山落木』の中から集字したものである。また子規はこの寺へも度々足を向け、
多くの句を残しているが、中でも「秋風や平家弔う経の声」や「二文投げて寺の縁借る涼みかな」の句が、
この寺の雰囲気を伝えるものとして有名である。

少し進んで、右側には
鯖大師



建物は新しい・・この北側に、
J蓮生院

大本山 須磨寺 (sumadera.or.jp)より抜粋↓
塔頭三院の一つで、「蓮生」とは熊谷直実が「蓮生坊」と名乗ったことに由来する。
直実は一の谷の合戦で戦死した平敦盛菩提の為、法然上人のもとで修行し、諸国行脚の途中、須磨を訪れたといわれている。
大正五年、花火大会の飛火のため出火焼失したが、昭和九年不動明王を本尊として現在地に再建、
成田山不動明王分霊も奉祀し不動明王信仰の中心となっている。
本堂横には厄除大師堂があり、右手に剣を持つ秘鍵大師が祀ってある。
また国文学者、大井広の「明減のひかりをおくる灯台はいづこにあらむ寂しき海はら」の歌碑が作者の短歌の師、
太田水穂の筆により建てられている。

この蓮生院
の反対側には・・
K源平の庭




大本山 須磨寺 (sumadera.or.jp)より抜粋↓
今から八百年前の平敦盛・熊谷直実の一騎討ちの場面を再現した庭です。
当時十六歳の無官太夫平敦盛が一の谷の浜辺において、
源氏の武将熊谷直実に討たれた話は平家物語の中で最も美しく、
最も悲しい物語として古来語り継がれております。
庭前には、「笛の音に波もよりくる須磨の秋」の蕪村句碑があり、
庭の角には弁慶が「一枝を伐らば一指を剪るべし」と制札を立てた、
歌舞伎「一の谷嫩軍記」にも登場する「若木の桜」があります。

平敦盛

熊谷直実
この庭の北側には・・

L宝物殿

があります・・

入ります・・
青葉の笛と高麗笛



大本山 須磨寺 (sumadera.or.jp)より抜粋↓
青葉の笛(太い笛・2.5×37cm)
青葉の笛は、もともと弘法大師が中国(唐)へ留学していた時に、
長安の青龍寺というお寺の竹(天笠の竹)でつくったといわれておりまして、
大師が日本へ帰った後、これを嵯峨天皇に献上し、
嵯峨天皇は空海の献上しましたこの笛を青葉の笛と名付け、
その後皇室から平家の手に渡ったといわれております。
高麗笛(細い笛・1.5×37cm)
比叡山学祐僧正の作にして青葉の笛と同じく敦盛郷遺愛の笛。
当寺では、この青葉の笛、麗笛の2本が敦盛郷遺愛の笛と伝えられています。

弁慶鐘(旧鐘)

大本山 須磨寺 (sumadera.or.jp)より抜粋↓
一の谷の合戦の際、弁慶が山田庄安養寺からこの鐘を長刀の先に掛けて担いで来て陣鐘の代用にしたという。
銘に「摂津矢田部郡丹生山田庄原野村安養寺之鐘」とある。
今、旧鐘は宝物館に納められている。


弓・矢筒・陣笠


福祥寺萬額・鬼面




さて・・また仁王門の北に戻ります・・
M唐門

階段を登ると・・

正面には・・

N本堂

大本山 須磨寺 (sumadera.or.jp)より抜粋↓
仁和二年開創当時の本堂には、松風村雨物語で有名な在原行平が参籠して、勅勘を許されたと伝えられますが、
その後、火災、洪水、地震などの災害によりたびたび建て直されました。
現在の本堂は慶長七年(一六〇二)豊臣秀頼が再建したもので、建築奉行は片桐且元でした。
但し内陣の宮殿は応安元年(1368)の建造になるもので、重要文化財です。
本尊聖観世音菩薩、脇侍毘沙門天、不動明王が祀られています。
昭和47年、文化庁の指導で全面解体修理が行われ、六百年前の姿に復原されました。
この後、阪神淡路大震災の被災を乗り越え、平成17年にも復元のための修理が行われ現在の姿になっています。

此処から右の方に・・

本堂の左には護摩堂・・
その前に・・

写経輪堂

一切経を奉納されており、お堂ごと回転する・・

O弁慶の鐘

大本山 須磨寺 (sumadera.or.jp)より抜粋↓
一の谷の合戦の際、弁慶が山田庄安養寺からこの鐘を長刀の先に掛けて担いで来て陣鐘の代用にしたという。
銘に「摂津矢田部郡丹生山田庄原野村安養寺之鐘」とある。
旧鐘は宝物館に納められている。
この鐘は一の谷合戦八百年記念に複製した新鐘で、除夜の鐘としても有名である


七福神 福禄寿尊

大本山 須磨寺 (sumadera.or.jp)より抜粋↓
”福”は幸せ、”禄”はお金、”寿”は長生き。私達の願いを名前で示す福の神が、福禄寿尊です。
福も禄も寿も頭を使わなければ、と長い頭が示し、笑う門には福来る、とにこやかなお顔でさとされます。
笑いながらこの福禄寿尊の頭をなでるとボケ封じに、又、
福禄寿尊の体をなでるとガン封じになるといわれる有難い”撫で仏様”ですよ!

北側を見ると・・
P護摩堂

大本山 須磨寺 (sumadera.or.jp)より抜粋↓
明治36年に再建されたものです。
平成24年(2012)改修


この右側には・・
十三重塔

大本山 須磨寺 (sumadera.or.jp)より抜粋↓
護摩堂の東、泉水の傍らに建っている。
もと奈良県山辺郡の来迎寺にあったが、後に須磨一の谷、藤田邸に移され、
さらに昭和三十六年、手塚氏がこれを譲り受けて当寺へ寄進し、現在の地に移した。
花崗岩製で、総高五・二四メートルある。
軸部四方には月輪を大きく刻み、内に金剛界四仏の種子を深く彫っている。
屋根石は軽い軒反りをもち、相輪上部の四方にイボ状の水煙が付いている。
軸石の北面中央に嘉暦二年(一三二七)の刻銘がある。

この右側には・・
Q奥の院参道入口

さて・・行って見ます・・

登りでは十三佛、下りでは七福神巡りができるらしい・・
大本山 須磨寺 (sumadera.or.jp)より抜粋↓
奥の院参道沿いにある十三佛・七福神巡りは亡き人の追善供養、
お子さまや家族縁者の無事と成長、そして自身の現在と後生の安心(あんじん)を願うお参りです。

地図2再掲







若宮大神





不動明王

階段を登って・・



釈迦如来



文殊菩薩





普賢菩薩





だいぶ高いところに登ってきた・・
すぐ前に、県道21が見えてる・・

地蔵菩薩



県道21より高いところまで登った・・



弥勒菩薩







この手前の道を左に行くと、

奥の院からの下り坂に行けそう

一旦は行って見ます・・
薬師如来

向こう側に、七福神が見えるが・・

此処は下りの時に行くことにして
元の道に引き返します・・



観音菩薩



勢至菩薩



阿弥陀如来



阿閃如来(あしゅくにょらい)



いよいよ
奥の院の階段に到達・・

チョット登った右側には・・
新瑞講??

左は・・

とりあえず、登ろう

あらら・・

此処で左に行く道に入る・・



大日如来

また元の道に引き返します・・

階段を上がったところの右側に・・
虚空蔵菩薩

その左に
高野山奥院の遥拝所

正面は
R奥の院

大本山 須磨寺 (sumadera.or.jp)より抜粋↓
宗祖弘法大師が祀られています。
毎週日曜日、午前11時よりお勤めをしておりますので、どうぞお参り下さい。



弘法大師



奥の院の左側を回り込むと・・
お助け地蔵

???





南無八大龍王



???




さて・・引き返します・・

下りは西側の階段



寿老人

ちょっとした広場がある・・


不動明王お大師様の館




さて・・降ります・・

布袋尊





左側に道・・

奥の院に行く前にお参りした・・
大日如来

でした・・元の道に引き返します。





大黒天







弁財天





毘沙門天





恵比須神





広場に出た・・



福禄寿尊



此処のベンチで・・お昼を・・お握りですが(笑)
目の前は
S駐車場

此処は県道21にある、
須磨寺の駐車場です。

下には須磨寺の墓地が見える・・



エレベーターで下に降ります・・












(21)青葉殿の前に出ました・・

此処は納骨堂とのこと・・

地図2再掲


西の方に何かある・・

万霊堂

さてっと・・東に進みます




左側に(22)平敦盛卿首塚





大本山 須磨寺 (sumadera.or.jp)より抜粋↓
この首塚(五輪塔)は、寿永三年(1184)年二月七日に起きた一の谷の戦いで、
熊谷直実に討たれ戦死した平敦盛の菩堤を弔う為に建立されたものです。
因みに、須磨浦公園にある『敦盛塚』には胴体が祀られています。

此処の道を隔てた南側には・・
シベリア萬豪戦没者慰霊塔

ミーシャぐま

頭をなぜると、一絃琴の『異国の丘』が鳴ります


この道の南北には・・色々ならんでる・・
一畑薬師



きんぽとん童子



親子地蔵


(23)六地蔵菩薩




さらに進みます・・
三重塔の前には

五猿

見ザル、言わザル、見てごザル、聞かザル、怒らザル、の五猿です。
見てごザルの頭を撫でてあげると手が動いて双眼鏡を持ち上げます。


(24)三重塔

大本山 須磨寺 (sumadera.or.jp)より抜粋↓
弘法大師千百五十年御遠忌、当山開創千百年、平敦盛卿八百年遠忌を記念して昭和五十九年に再建されました。
(旧塔は四百年前の文禄大地震の際に倒壊。)
室町時代様式を基調とし、内部には大日如来を祀っています。
内陣の天井と壁面に多数の摶仏を配し、四方扉の内面に八祖像と六ヶ国語による般若心経を刻銘したことや、
塔上の水煙に釈迦誕生像を配したことなどがこの塔の特徴となっております。
塔敷地の周囲には四国八十八カ所お砂踏み霊場があり、各札所の砂をガラス越しに踏んでお詣りが出来ます。
平成26年(2014)塗り替え
四国八十八個所お砂踏





更に東に・・

左側を見ると・・

行って見ます・・

(25)出世稲荷大明神



大本山 須磨寺 (sumadera.or.jp)より抜粋↓
当山鎮守 尾玉・荒熊・末廣三明神は平清盛公が、都の守護神として祀り、武家として立身出世を成した為、
何時しか出世稲荷として信仰を集めました。現在の建物は平成26年(2014)改修


五石仏


(26)ひとすじ弁財天

大本山 須磨寺 (sumadera.or.jp)より抜粋↓
平成28年(2016)改修。
新たに山大仏師の手による、須磨琴を弾くお姿の「ひとすじ辨財天」をお祀りしています。

(27)経木供養所・八角堂



大本山 須磨寺 (sumadera.or.jp)より抜粋↓
戒名、俗名、○○家先祖代々、○○家水子等を書いた経木(一枚100円)を
経木供養所にてご供養いたします。
※供養所での読経料はお気持ちです。


(28)源義経腰掛松

一の谷の合戦後、源義経公はこの松に座って敦盛公の首と笛を実検した。


(29)大師堂



大本山 須磨寺 (sumadera.or.jp)より抜粋↓
宗祖弘法大師ならびに真言八祖を祀っています。
毎月二十日、二十一日に「須磨のお大師さん」として縁日があり、十数万の信者の参詣があります。
大正時代の一時期、この堂には孤独奇矯の自由律の俳人尾崎放哉が堂守りとして住み込んでいました。
彼はここで多くの句作を残しましたが、特に「こんなよい月をひとりで見て寝る」の句は最傑作として、
今、本堂前の句碑に刻まれています。平成19年修復。

大師堂の向かい側には・・
(30)納経所・社務所



屋上に・・



チョット詳細は不明?

下界の景色・・

さてっと・・
M唐門

に帰ってきました・・

此処からは、また須磨寺駅まで戻って
家に帰り着いたのは、
午後3時ごろ。
約3時間歩いて、12000歩でした。

以上