Bogey-Don
三木城跡上の丸公園


<2025年7月4日(金)>

良い天気でチョット暑そうな日、
思い立ってまだ行ったことのない三木城跡を見に行くことにしました。

8時ごろに出発、
神戸電鉄湊川駅から乗って・・

@三木上の丸駅

木造の駅舎ですね〜

駅の開業は昭和12年(1937年)、
外観は古そうですが、内部は自動改札や券売機があり古さは感じられない。

着いたのは

10時すぎでした・・

A駅の下の道に出ます・・

右側には、上の丸交差点が見えています。

地図1



左側に進みます・・



次の交差点には・・

大きな看板がありました・・

ここで左折して、神戸電鉄の下を通ります

そしたら・・すぐ左側に・・
B三木城址

へ登る階段があった・・
登ります

草ぼうぼうです?

途中で右上を見たら・・

高台になってますね〜
C階段の上です・・

どうやらここが三木城跡上の丸公園らしい・・

なんだか雑然としてますね〜??
振り返ると・・

登ってきた階段・・
神戸電鉄の線路・・
美嚢川が見えてます。
左側には???

三木城跡とは関係ないらしい??

看板がありました・・


忠魂碑

これは近年の三木市での戦没者の慰霊碑です。
三木城跡とは関係なしです・・

三木城本丸の井戸



口径3.6m、深さ約25m。石を投げ込むと「カンカン」と音がするので
「かんかん井戸」とも呼ばれている。

三木城本丸跡

石碑だけですが・・

回り込んで階段を上がると・・
伝天守台

そこには、城主・別所長治の辞世の句が刻まれた石碑が立ってる。
「今はただ恨みもあらず諸人の いのちに代わる我が身と思えば」
反対側には
別所氏一族の辞世の句が・・

この三木城は、三木合戦の舞台となった、
天正6年3月29日(1578年5月5日)から天正8年1月17日(1580年2月2日)にかけて行われた織田氏と別所氏の合戦。

織田家の武将羽柴秀吉が行った播州征伐のうちの1つで、
別所氏はこの三木城に篭城した。この合戦で秀吉が行った兵糧攻めは、三木の干殺し(みきのひごろし)と呼ばれている。


当時の遺構として残されているのは、
本丸の井戸・伝天守台
の二か所だけのようです。

伝天守台から見える下界の景色・・

川は美嚢川・・
三木合戦の舞台である三木城の北側はこの川が
お堀の役目と物資の輸送を担っていたようです。

伝天守台に向かって左側には
別所長治公像

この像は近代になって建てられたものです。

さてっと・・
さらに左側(南側)へ・・

鳥居がある・・

どうやら神社の裏側らしい・・
蚊の攻撃がすごい(笑)

表側です・・上の丸稲荷神社とのこと。
神社の正面には
三木城二の丸跡

の表札がある門・・行ってみます

看板再掲

三木歴史資料館が見えてます・・

隣の建物との間に
三木城二の丸跡の石碑が・・

他に二の丸跡の遺構はない・・

三木歴史資料館に入ってみました

入口・・
あいにくと、この日は展示物が見られない日でした。

外に出て

北側には・・鳥居がある・・

金物神社

面白い名前ですね〜

三木は金物の街です・・
神社は左側にありました・・




鳥居の正面には・・金物資料館が在りました。


さてっと・・駅に帰ります・・
地図再掲

D車道

を下ります・・


E神戸電鉄の線路

を潜って・・
A駅の下の道に帰ってきました・・

この日
蚊に襲われながら歩いたのは
10000歩でした。

神戸電鉄で帰ってきました。

後日、
<2025年8月16日(土)>
再度、行って美嚢川を見ながら散歩しました。

神戸電鉄、美嚢川の鉄橋です。

美嚢川です、

此処から10kmほど下流で
加古川に注ぎ込んでいます。

この日は、川沿いを2時間(8000歩)ほど歩いて、
また神戸電鉄で帰りました。

以上