Bogey-Don
西国街道探索
朝霧駅〜垂水駅


<2020年11月29日(日)>

なんとなく、前から考えていたこと「西国街道」を歩きます。
昔の名残を感じられる物を探しながら・・・

参考にしたのはNETで発見した
「西国街道道中の記録」
です。↓
http://k-yagumo.sakura.ne.jp/web/saigoku.html

この西側は・・<2020.12.14.西明石駅〜朝霧駅
この東側は・・<2020.11.23.垂水駅〜須磨駅

この日は
朝は散髪して、その足でJR神戸駅へ姫路駅まで行って、
ホームで「駅そば」で腹ごしらえ・・引き返して朝霧駅に着いたのが12時でした。

@朝霧駅前

山側の出口です。

駅の東側から、橋を渡ります・・大蔵海岸公園に通じています。
この橋は、2001年7月の「
明石市民夏まつり花火大会」の21日午後8時ごろ・・
大混雑となり・・群衆雪崩発生し死者11名重軽傷者247名の大惨事が起きた橋です。

橋はJR朝霧駅のホームの上を超えています・・




A大蔵海岸公園





この辺りでは、西国街道は国道2号線です。
国道の北側に朝霧駅が見えます。


では東へ進みます・・まだ公園内です。

国道への出口

国道の南側です・・

地図1


B明石市東端

時間厳守宣言都市明石

明石市の東の端です・・

振り返ると・・

ようこそ時のふるさと明石へ・・

すでに神戸市垂水区です・・
狩口台六丁目交差点

右側しか歩道はない・・

住宅地まで行く道は、JRと山陽電車の線路を超えて・・






橋が見えます・・

C山田橋、山田川



上流には・・鉄橋が

下流

淡路島が見えます。

橋を渡ってすぐに・・

古い地蔵堂が・・



振り返ってみたら・・

カラテ道場の前に地蔵堂・・


東へ・・

西舞子地下道

山陽電車の西舞子駅に通じる地下道のようです・・

JRを潜って向こう側に出ているような・・

D国道2号線との分岐点

此処で、海側の道に入ります・・



左側に神社が見えます・・

E舞子六神社













此処のホームページ↓
舞子六神社 公式サイト 神戸市垂水区 (rokujinjya.jp)
によれば・・
伊邪那岐大神 伊邪那美大神 天照皇大神 素盞男大神 月夜見大神 蛭子大神
を祀っている
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
創建は、御輿渡御に供奉する金幣の刻銘により、元禄二年(1689年)まで遡ることができるが、
神社に関する古記録が失われているので、それ以前については不詳である。
江戸時代前期中葉に、播州明石郡山田村の総鎮守として六社大明神の社を建て、
六柱の神を祀ったのが創始であると思われる。
村人の崇敬の厚かったこの六神社は、明治初期の神仏分離令により明神号廃止され、
六社神社と名所が変わり、明治7年2月に列し、六神社(舞子六神社)と改称し、現在に至っている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
とのこと・・

東へ・・

地図2





また国道2号線と合流するようです・・

橋らしき欄干が・・


F東橋

上流側・・

下流側

この下が川なのかな??


国道2号線に出ました・・左側に・・
舞子延命地蔵





台座の左側に木槌が見えています・・・・


二枚上の写真には、台座の左側に木槌が見えています・・・・
このお地蔵さんは別名「たたき地蔵」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
江戸末期、漁船安全と悪病不入のため村人が作ったという。
地元では「たたき地蔵」と呼ばれ、木槌で台座をたたきながら祈れば願いが叶うとされる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
とのこと・・

舞子公園西交差点




G明石藩舞子台場跡















神戸市のホームページ↓
神戸市:公式トップページ (kobe.lg.jp)
此処で検索蘭に「旧明石藩舞子台場跡」と入れて検索したら・・出てきます。
それによれば・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
舞子台場跡は明石海峡が最も狭くなった舞子海岸に築造された幕末の砲台跡で、
現在は本州と淡路島を結ぶ明石海峡大橋の本州側のたもとに位置します。
当時各地に外国船が来航し始めた脅威に備え、幕府が明石海峡の警備強化のために、文久3年(1863)に明石(あかし)藩に一万両を貸与し、
勝麟太郎(海舟)の指導のもと、急遽築造させたものです。
4kmの海峡を挟んだ対岸の淡路島に築造された阿波藩の松帆台場(淡路町・国史跡)と協力して、
明石海峡を通過する外国船をはさみ撃ちにする計画だったと考えられます。
舞子台場跡は3ケ年度4回に及ぶ発掘調査の結果、現在の海岸護岸の石垣が築造当時のままのものであり、
台場の石垣全体も良好な状態で埋まっていることがわかりました。
台場の型式は稜堡式(りょうほしき)と呼ばれ、石垣の平面形がW字形となる西洋の要塞を参考にして設計されています。
すべて石で積まれた台場は国内では他に例がなく、たいへん貴重なものです。
大きさは東西幅約70メートルで、幅6〜10メートルで石垣が巡っています。
高さが約6メートルで現存する石垣は、幕末〜明治初め頃の写真資料によると築造時の下層部分にあたります。
上層部には砲門や出入口となるアーチ形門などがあったようで、築造当時の高さは海岸から約10メートルもあったと推測できます。
また、記録によると、砲弾庫・火薬庫・兵舎等の施設は建設されず、実際には大砲も据えられなかったようです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
とのこと・・

しばし・・景色を・・



さらに東へ・・

H舞子公園西側案内板

とりあえず「南地区」へ・・明石海峡大橋の下を通って・・移情閣へ・・








I孫文記念館、移情閣

此処のホームページ↓
孫文記念館 日本語 - HOME (sonbun.or.jp)
孫文は一時期、日本に亡命していました・・

J明治天皇歌碑







明治天皇は舞子の景勝をことのほか愛され、1885年以来7回にわたって行幸されました。
それを記念して・・
昭和11年(1936年)に建てられたものです。
当時としては最高級の御影石を使用し、形は天皇の御輿(みこし)をデザインしたもの。
歌碑には明治天皇が詠まれた和歌、正面は「はりまなだ 舞子の濱に 旅寝して 見し夜恋しき 月の影哉」と刻まれている。


北へ・・


舞子駅前交差点・・を渡って・・

「中央地区」に・・

公園に入ります・・


K舞子浜遺跡



この辺りの松原のなかには、古墳時代中期の
円筒埴輪・朝顔形埴輪・盾形埴輪などを棺にした埴輪棺が、砂浜に点在した。

L舞子公園東交差点

此処でチョット「南地区」へ・・

M根上がり松再生



なんだ・・最近の試みですか・・

こんな姿の松は・・出来るのかな〜??

戻ります・・

地図3



東へ・・

N公園の「東地区」に



東端に到達・・

川が・・

道に出て、東へ


O霞ヶ丘南交差点

この先は左側の歩道が無い・・ので、海側に移動しました。







左側のJR線路より上に緑の森のようなのが見えています・・
多分・・五色塚古墳、次はあそこが目標地です。

道の南側には川が・・

Pマリンピア神戸前交差点

地図では、この北側が五色塚古墳・・

北側に歩道が在るので・・渡ります

さらに北に行く道を探しながら・・東へ・・

Q商大筋西交差点

少し行くと・・

北側への道を発見♪

行けそうです・・


RJRの高架を潜って
・・抜けられた♪

五色塚古墳を目指して、住宅街を西に戻ります・・

町名は・・五色山

S五色山三丁目1

この向こうに緑色の木が見える・・

見えた〜


(21)史跡 五色塚古墳

南側は道路が行きどまり・・

石垣と古墳の間に川が・・
マリンピア神戸前交差点の近くで見た川に繋がっているようです。

東側から撮影・・上に人影が・・
どうやら西側に古墳に入れる入口が在るらしい。
回り込みます・・


(22)五色塚古墳入口

入場無料です・・

















神戸市のホームページ↓
神戸市:公式トップページ (kobe.lg.jp)
此処で検索蘭に「五色塚古墳」と入れて検索したら・・出てきます。
それによれば・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
五色塚古墳は(千壺古墳とも呼ばれ)、4世紀後半に築造された県下最大の前方後円墳です。
墳丘の大きさは、
全長194メートル、前方部の幅82.4メートル、高さ13メートル、後円部の直径125.5メートル、高さ18.8メートルで、
周囲に周濠を巡らしています。
3段に築かれた墳丘のうち、下段は地山を前方後円形に掘り残し、中段及び上段は盛土を行っています。
下段の斜面には小さな石を葺き、中段及び上段の斜面には大きな石を葺いています。
中段及び上段の葺石は分析の結果、日本書紀の記述通り淡路島から運ばれたものでした。
使用された石の総数は、223万個・総重量2,784トンと推定されます。
墳頂と2段のテラスには、鰭付円筒埴輪・朝顔形埴輪などを巡らしていました。その総数は、2,200本と推定されます。
立地としては明石海峡とそこを行きかう船を見下ろすような場所にあり、海上交通の要衝を占めています。
このことから海上交通と関わりの深い有力者の墓と考えられています。
この古墳は神戸市が、国の史跡整備の第1号として補助金を得て、昭和40年から10年の歳月をかけて整備したものです。
整備後30年近く経た現在も優美な姿を留め、全国から見学者が訪れています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
とのこと・・

(23)古壺古墳

五色塚古墳の上から撮影




二つの古墳の間に、古びた御稲荷さん・・
岩本稲荷




さて・・来た道を戻ります・・
RJRの高架を潜って
国道2号線へ

JRを潜って・・



国道2号線にでました・・

(24)垂水駅前交差点


(25)垂水駅


午後2時半に到着・・

この東側は・・<2020.11.23.垂水駅〜須磨駅


以上