Bogey-Don
西国街道探索
垂水駅〜須磨駅


<2020年11月23日(月)>

なんとなく、前から考えていたこと「西国街道」を歩きます。
昔の名残を感じられる物を探しながら・・・

参考にしたのはNETで発見した
「西国街道道中の記録」
です。↓
http://k-yagumo.sakura.ne.jp/web/saigoku.html

この西側は・・<2020.11.29.朝霧駅〜須磨駅
この東側は・・<2020.9.27.須磨駅〜長田神社

この日は
朝9時過ぎにJRで垂水駅まで移動して・・10時に出発。

@垂水駅前

海側の出口です。

A垂水駅前交差点

この辺りでは、西国街道は国道2号線です。
では東へ進みます・・

地図1



左側の歩道を行くと・・

B海神社

右側の歩道に移動して撮影

海の方向にも、赤い鳥居があります・・その先は垂水漁港




此処のホームページ↓
海神社 (main.jp)
によれば・・その由緒は
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今から千八百年前くらいの昔、神功皇后(ジングウコウゴウ)が三韓よりの帰路、
暴風雨のため、どうしても御座船を進めることができなくなりました。
皇后御みずから綿津見三神をお祭りになり、御祈願されましたところ、たちどころに風波がおさまり御無事に都へ御還りになりました。
その時神功皇后が綿津見三神をお祭りになったところに御社を建て、御神徳を仰いだのが鎮座の由来であります。

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とのこと・・超・古い

もう少し歩くと・・
玉林禅寺







建物は新しいが・・創建は古そう・・
此処のホームページ↓
玉林禅寺 (gyokurinzi.com)
によれば・・その創建は
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当山が創建された嘉吉二年(一四四二年)は、そのに嘉吉の乱が起こり、播磨が戦場となった。
この戦乱は、播磨の国赤松満が 足利六代将軍義教を謀殺したことから始まり、幕府の赤松追討軍が播磨に攻め入って、
赤松一党が滅亡したことで終わるが、この後山陰の山名氏と四国の細川氏との間で争いが起こり、
応仁元年(一四六七年)から天下を二分して争った応仁の乱が始まった。

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とのこと・・応仁の乱以前・・古い。

この辺りの海側には、古そうな家がちらほら・・




C福田橋



上流

下流

大正15年竣工って古そう・・
NETで、全体が判る写真を探し出しました・・頂き物です・・

なかなか良い雰囲気♪

次の交差点・・

左側をしばらく行くと・・お地蔵さん

その先で・・

歩道が無くなった・・爆

戻ります・・

陸橋の上から庇側を確認

しばらくは右側を歩くしかない・・

D増田屋

此処にも古めかしい壁♪

増田屋・・古く無さそう・・
駐車場の向こうに古そうな家が・・

扉の石柱が古そう・・

こんなところに自動販売機を置くなよ〜笑。

右側に公園のような林が・・
平磯緑地

入ってみました・・

特段のことなし・・

また元の道に・・

E下水道処理場前交差点


この辺りは、山と海が接近しています・・
国道2号線の山側には、JRと山陽電車が並走しています。


右側の平磯緑地は此処で終わり・・

左側には、JRが走っています・・さらにその上・・
JRの上には、山陽電車の

F滝の茶屋駅

が見えています・・見晴らしのいい駅で有名です。
NETで探して、駅のホームからの眺めを頂いてきました・・

すぐ下がJR、その下が国道2号線・・平磯緑地、海まで見えますね〜
当方、若かりし頃はこの駅から通勤していました。

地図2


JRの高架下から車が出てきている・・

G塩屋町一丁目交差点

すぐ右側に駐車場・・その向こうが海♪



西方向

南方向

東方向

おっ・・

左側にも建物が・・

渡りました・・


H塩屋谷川

奥がJR、手前が山陽電車の鉄橋・・

I山陽塩屋駅
この先に駅舎が在ります・・

陸橋にあがって・・前方を確認・・

右側に海が見えて、人がたくさん居ます・・野次馬根性で行ってみます(笑)

右側の歩道から駅舎を撮影

J菅公橋

この辺は、JRを跨ぐ橋です・・
この橋の命名の由来は、神戸市のホームページで見つけました。
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JR塩屋駅の東側で、国道2号が山陽本線を跨いでいます。この陸橋を「菅公橋」と呼んでいます。
平安時代初期の学者菅原道真が右大臣になりましたが、左大臣の藤原時平とうまくいかず、
九州の大宰府(朝鮮や中国との外交機関)に左遷され、大阪から船でくだってきました。
神戸の和田岬で暴風に遭い、陸路にかえました。
この時代は、鉢伏山が海岸に突き出ていまして、海岸沿いの道はありませんでした。
西宮神社の吉井宮司が、万葉集の中から「荒磯越す 波をかしこみ 淡路島 見ずや過ぎなむここだ近きを」の歌を見つけ、
古山陽道は、須磨から多井畑に回っていたことを明らかにしました。
菅原道真は、この古山陽道を通って塩屋に出て、明石へ行きました。
この時、明石の馬屋の駅長が、塩屋まで迎えに来た-という伝説から1933年に造られたこの橋に「菅公橋」と名づけたのです。
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とのこと・・
橋は新しいが、命名の由来は・・古い(笑)

とりあえず・・海を撮影

西側

東側

中央
さらに進むと・・

JRの線路を見おろせます・・

集まっている人達は、どうやら鉄道写真マニアらしい・・

このまま進むと、左側の歩道に行けそうもないので、
また駅前まで戻りました。

先ほどの菅公橋を渡ったろころ・・
右側の歩道からこちら側に横断路は無い・・回り込んで正解でした。

左側の細い道に・・

すぐ左には山陽電車が走っています・・

塩屋東第3踏切

踏切の向こうは、急な階段・・
その行く先は、塩屋町2丁目。

K境川西踏切

此処も塩屋町2丁目へ通じています・・
どうやら塩屋町2丁目へ行くには、此処を通るのが普通のようです・・

さらに東へ・・


L境川橋梁



レールの向こう側の谷間が境川らしい・・
この橋梁、参考にしたHP(2012年記載)では普通の鉄橋の写真でした。
その後にコンクリートに変貌・・通り過ぎて・・また戻ってきた(笑)

此処が垂水区と須磨区の境界です・・
此処は昔の、播磨国から摂津国への国境でした・・
川の名称は・・界川だったらしい。



前方に建物が・・

やっと山陽電車のレールから離れるらしい・・

地図3


敦盛そば

発見♪

西国街道の道標・・でも新しい・・

M史蹟、敦盛塚









神戸市のホームページによれば・・
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山陽電鉄須磨浦公園駅西南役150mの国道2号山側にやや奥まって立つ五輪塔です。
この付近は源平一ノ谷合戦場として知られ、
この塔も平敦盛を供養するために建立されたという伝承から「敦盛塚」と呼ばれますが、諸説があります。
この塔は花崗岩製で総高4m近い大塔です。
紀年銘はありませんが、梵字が大きく、水輪や火輪はやや古調ながら、風・空輪は近世の先駆的な様式を示していることから、
室町時代末期〜安土桃山時代の制作と考えられます。
中世の五輪塔としては、岩清水八幡神社五輪塔(京都府八幡市)に次ぎ、全国で2番目の規模を誇ります。
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とのこと・・

もう少し進むと・・

N須磨浦公園駅前交差点

山陽電車の須磨浦公園駅があります・・

東へ・・少し歩いてから

左折して、公園に・・

みどりの塔




O戦の浜碑







須磨観光協会のホームページによれば・・
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一の谷は、鉄枴山と高倉山から流れ出た渓流に沿う地域です。
一の谷から西一帯の海岸は、源平の戦いにおける一の谷の戦いの舞台となったことから、「戦の濱」といわれています。
一の谷をさかのぼると、東西2つに分かれていますが、
西の谷は、東の一ノ谷川本流に対し「赤旗の谷」といわれ、平家の赤旗で満ちた谷だと伝えられています。
毎年、決戦のあった2月7日の夜明けには、軍馬のいななく声が聞こえると言われています。
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とのこと・・

また国道に戻って・・

すぐに・・

右の写真の奥は、須磨一ノ谷プラザ(会議室、和室、ホールなどを貸している)
手前は、バス回転地
左側の駐車場の奥・・何かある??

P長田神社須磨御旅所





足元の小さな石碑、古そう・・
長田神社御旅所
と読める。

長田神社のホームページ↓
厄除け 神戸|兵庫県神戸市、明石市の厄除け・厄払い・合格祈願は【長田神社】 (nagatajinja.jp)
の「長田まつり」のページには・・・
長田まつり・神幸祭(神輿渡御)の由来が書かれている。
一部を抜粋すると・・
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明治になり、太陽暦の採用、祭祀等の法整備、地域の発展と共に度々改正が諮られ、神幸祭日時・順路の変遷があり、
明治7年の渡御には、上知により東尻池村和田御旅所(現兵庫区和田山)から吉田新田に新たに設けられた吉田御旅所(現兵庫区吉田町)へ、
並びに駒ヶ林村野田御旅所(長田区長柄町)から西須磨村須磨御旅所(須磨区須磨浦、現在は須磨区一ノ谷町の須磨浦公園)へと変更拡大され、
斎行日は大正2年より例大祭翌日の10月19日に改定され今日に至っている。
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とのこと・・
「西須磨村須磨御旅所」が此処のことかな??



Q一ノ谷川

歴史的な川だが・・周りに案内版とかは無い・・


にぎやかになってきました


R山陽電車須磨駅

午後1時半に到着・・

この東側は・・<2020.9.27.須磨駅〜長田神社

以上