Bogey-Don
奈良公園、見物


以前から思っていたことは、
せっかく関西に来たのに、まだ奈良の大仏は見ていない・・笑。
ってことで、
いつかは大仏を見に行こうと思っていました。
以前に奈良公園に行ったのは↓
2005年7月18日
西国三十三個所巡り9番札所、興福寺南円堂
の時でした・・

今回は、行って見たら広すぎて
一日では無理・・
結局二日かかりになりました。

<2023年11月23日(木・祭)>
この日は良い天気、
湊川駅、10時半ごろの神戸電鉄に乗って・・
新開地駅から阪神三宮経由で近鉄奈良駅に着いたのが
12時20分ごろ・・
京都と同じぐらいの距離なのに・・片道約2時間・・
これでは
奈良公園を全部見る時間が無い・・
で、
目的を偵察に変更(笑)

@近鉄奈良駅前の国道369号線

12時半ごろ東に歩きだしました・・
奈良県庁西交差点

此処を超えた所で・・
登大路地下歩道に・・


地上に出て少し歩くと・・
A奈良国立博物館

の横でした・・

鹿が・・

氷室神社

この日は急いでいたので、この鳥居を左に見て、
少し進んだところで左折・・
後日30日(木)に来た時に・・中に入りました・・






地図


B公園の自転車置き場

に出ました・・
自転車置き場の横にたくさんの鹿がいます・・
この道を真っすぐ行くと東大寺大仏殿
に通じてるらしい・・多分・・が、
ここで右折して・・
鹿を・・撮影

十数匹♪

近づいても・・平気らしい・・

C小川と紅葉






D国宝・南大門

上には大華巌寺とあがっている・・
TOPページ - 東大寺 (todaiji.or.jp)
より抜粋
東大寺の正門。天平創建時の門は平安時代に大風で倒れ
現在の門は鎌倉時代、東大寺を復興した重源上人が、
新たに宋様式を採り入れた大仏様(だいぶつよう)によって再建したもの。
正治元年(1199)に上棟し、建仁3年(1203)に竣工した。
入母屋造、五間三戸二重門で、ただ下層は天井がなく腰屋根構造となっている。

また屋根裏まで達する大円柱18本は21m、門の高さは基壇上25.46m。
大仏殿にふさわしいわが国最大級の重層門である。


国宝・南大門金剛力士像

左:阿形像 右:吽形像
TOPページ - 東大寺 (todaiji.or.jp)
より抜粋

“東大寺の仁王さん”の名のもとに親しまれている南大門金剛力士像は、
鎌倉時代初頭の建仁3年(1203)に運慶や快慶ら仏師たちによってわずか69日間で造像された巨大像である。
像高はいずれも8.4m弱ある。

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E中門

大仏殿に入るには、
この門の左側を10mほど行ったところに入口がある・・
入場料金600円

F国宝・大仏殿

TOPページ - 東大寺 (todaiji.or.jp)
より抜粋
東大寺の金堂。奈良時代に創建されてから治承と永禄の二度の兵火に遭い、
現在の建物は江戸時代に公慶(こうけい)上人によって再建された。
ただ天平・鎌倉の大仏殿は桁行11間(約88m)であったが、財政困難の理由で7間に規模が縮小された。
それでも高さや奥行は創建時のままで、世界最大級の木造建造物である。

東西:57.012m 南北:50.480m 高さ:48.742m

国宝・盧舎那(るしゃな)大仏

TOPページ - 東大寺 (todaiji.or.jp)
より抜粋
大仏さまは正しくは盧舎那(るしゃな)仏もしくは毘盧遮那(びるしゃな/ヴァイローチャナ)仏と言い、
その意味は、知慧と慈悲の光明を遍く照し出されているほとけということである。

尊像:像高14.98m/目長1.02m/耳長2.54m/顔長5.33m/鼻高0.50m/台座高3.05m

左回りに一回りできます・・
虚空蔵菩薩(重要文化財)

江戸時代の代表的な仏教彫刻、高さ7.1m


廣目天(こうもくてん)


仏教の主護神、四天王の一尊
左手に巻物を持ち、右手に持った筆で何かを書き留める姿


多聞天(たもんてん)


毘沙門天(びしゃもんてん)とも言われる・・
左手に宝棒(仏敵を打ち据える護法の棍棒)、右手に宝塔(仏塔)を持つ姿




さて・・
急いで帰らないと・・笑。



交差点を、
鹿が渡っています・・車は・・待ってる(笑)

家に帰り着いたのは、午後4時半

<2023年11月30日(木)>
この日も良い天気・・気温が低い・・
気合を入れて、8時過ぎに家を出発。
新開地駅から阪神三宮経由で近鉄奈良駅に着いたのが
10時20分ごろ・・

慣れた道を歩き東大寺に直行・・
二月堂の方に行こうと、
参道に入ったが・・

途中で・・

通行止め・・爆
ウロウロして・・

@手向山八幡宮の参道

に入りました・・




A手向山八幡宮・楼門





NET検索抜粋↓
天平勝宝元年(749)、東大寺建立にあたって宇佐八幡宮より東大寺の守護神として勧請されました。
宇佐八幡宮が初めて勧請した神社でもありました。
当社の当初は平城宮南の梨原宮に鎮座し、後に東大寺大仏殿南方の鏡池付近に移座しましたが、
治承4年(1180)の平重衡による南都焼き討ちで焼失、建長2年(1250年)に北条時頼が現在の地に再建しました

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此処から北に・・

法華堂経庫・重要文化財

さらに北にある法華堂(三月堂)の経庫、奈良時代に建てられた校倉造の倉庫
経庫の傍らには鎌倉時代後期の層塔が建っており、
東大寺再建の際に使用された黒髪の縄を供養したものと言う伝承があり、「御髪塔」と呼ばれている



地図2


B国宝・法華堂(三月堂)



TOPページ - 東大寺 (todaiji.or.jp)
より抜粋
『東大寺要録』によれば、天平5年(733?747)から天平19年までの創建と考えられている東大寺最古の建物
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二月堂の真下には・・
C閼伽井屋(あかいや)・重要文化財



NET検索抜粋↓
東大寺修二会(しゅにえ)の代名詞でもある「お水取り」は、3月12日の真夜中(正確には13日未明)、
此処の井戸から、本尊に供える香水をくみ上げるための行法。

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さてっと・・

二月堂に入ります・・


D国宝・二月堂

上にあがります・・







TOPページ - 東大寺 (todaiji.or.jp)
より抜粋
二月堂の名は、このお堂で修二会(しゅにえ)が旧暦の2月に行なわれることから起こっている。
良弁(ろうべん)僧正の高弟実忠(じっちゅう)の草創と伝えるが、
寛文7年(1667)の修二会中に堂内から出火、焼失し、現在の建物はその2年後に再建された。
創建当初の建物は小規模のものであったらしく、時代を経るにつれ、修二会の行法に合わせて増築されたようである。
音響効果といい、内陣・外陣・礼堂などの間取りといい、行法を行なうのにまことにふさわしい建物になっている

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下界の景色・・

奈良で一番美しい眺めと言われている。

北側の階段を降りて・・


E二月堂裏参道

に出ました・・
F次の三叉路

此処で左折・・

G大湯屋・重要文化財



TOPページ - 東大寺 (todaiji.or.jp)
より抜粋
重源上人が修復したとも、延応元年(1239)に新造されたともいわれる浴場である。東西に長い建物の内部を3区分し、
前面を湯室の前室とし、中央が浴室で、後壁に接して風呂屋形を造り、そのなかに重源の命で、
鋳物師の草部是助(くさかべこれすけ)が建久8年(1197)に造った大きな鉄製の湯船(重要文化財)が据えられている。
後面は土間で釜場となっている。
往時は風呂屋形の中に簀子を敷き掛湯したとされる中世の浴室の様子を伝える貴重な遺構である。(非公開)
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南西側に高台にあがる階段がある・・

行って見ます・・
あがってみると・・

H国宝・鐘楼



TOPページ - 東大寺 (todaiji.or.jp)
より抜粋
ひときわ天空に聳える鐘楼は、鎌倉時代の東大寺復興に大きな足跡を残した重源上人を継ぎ、
大勧進となった栄西禅師が承元年間(1207〜11)に再建したもので、
大仏様にやや禅宗様的要素を加味した豪放な建物である。
重さ26.3tもある梵鐘(国宝)は東大寺創建当初のもので、
鐘声の振幅は非常に長く、「奈良太郎」と愛称され、日本三名鐘のひとつに数えられている。
梵鐘は、総高3.86m、口径2.71m、重量26.3tあり、撞木はケヤキ造りで、長さ4.48m、直径30cm、重さ180kg、金具を入れると約200kg。
大きな釣鐘であるところから古来東大寺では大鐘(おおがね)と呼んでいる。

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此の高台には・・色々と在りました・・

念仏堂・重要文化財

TOPページ - 東大寺 (todaiji.or.jp)
より抜粋
もとは地蔵堂といわれ、鎌倉時代の寄棟造の建物であるが、
錣葺(しころぶき)の屋根は元禄年間に改修されたものという。
堂内には嘉禎3年(1237)に仏師康清が造った地蔵菩薩像(重要文化財)が泰然と安置されている


行基堂

TOPページ - 東大寺 (todaiji.or.jp)
より抜粋
宝形造の一間堂で、江戸時代(17世紀前期)の建築である。
堂内の坐像は行基菩薩、奈良時代に大仏様を造立する際の勧進をつとめ、東大寺「四聖」の一人である。


俊乗堂

TOPページ - 東大寺 (todaiji.or.jp)
より抜粋
元禄年間に公慶上人が重源上人の偉大な功績をたたえ、菩提を弔うためにここに入母屋造のお堂を建て、
そこに重源上人像(国宝)を移し本尊とした。肖像彫刻の白眉といわれるこのお像は、仏師快慶作ともされているが、
確かなことは不明である。
なお堂内には快慶作の阿弥陀如来像(重要文化財)、平安末期の愛染明王像(重要文化財)が安置されている。


さて・・階段を下りて

大仏殿の方向に・・

地図2再掲


I此処を右折

次は正倉院に向かいます・・


途中の道が工事中で・・
チョット遠回りでした。

J回り道

K入口


L正倉院

東宝庫





TOPページ - 東大寺 (todaiji.or.jp)
より抜粋
聖武天皇遺愛の品々を納めた北倉、東大寺の年中行事用の仏具などを納めた中倉・南倉に分かれ、三ツ倉とも称されていた。
いまは東大寺を離れ、宮内庁の管轄になっているが、
毎年秋には奈良国立博物館で宝物の一部が展観される「正倉院展」が開催される。
どんな宝物が納められているかは↓
トップ - 正倉院 (kunaicho.go.jp)
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さてっと・・・
此処からは、急いで戻って・・

春日大社へ向かいます。

さて、
東大寺南大門の南側の大きな交差点を
南に渡ると・・

M春日大社参道


地図3


N二之鳥居

鳥居の右に・・

車舎(くるまやどり)・重要文化財

春日大社 (kasugataisha.or.jp)
より抜粋↓
貴族たちは、車舎に牛車や馬を繋ぎ、ここから先は歩いて参詣しました。





左側の道は、剣先道
春日大社 (kasugataisha.or.jp)
より抜粋↓
左の分かれ道には扇形に敷石があり、 要の部分の石をよく見ると剣形になっているのでこの名がある。
昔から先端の石は踏んではならないと伝えられている。
春日祭のときは、藤原氏の人はこの道を通って本殿へ進んだ。
この先には名前も、藤原氏ゆかりの藤の花がかかる藤鳥居がある。


この先で左側の石段を登ります・・

O春日大社南門・重要文化財

春日大社 (kasugataisha.or.jp)
より抜粋↓
春日大社は
「およそ1300年前、日本の国の繁栄と国民の幸せを願い、
茨城県鹿島より武甕槌命様を神山である御蓋山山頂浮雲峰にお迎えし
神護景雲二年(768年)に社殿が造営された。」

南門は春日大社の南回廊にあり、表参道を歩いて回廊内に入る時に潜る門で、高さは12mあり春日大社最大の楼門。
平安時代中期頃藤原氏の長者や摂関による春日詣がはじまり、その際の参向門とされた。
廻廊が作られた頃には現在のような2階建ての立派な楼門となり、春日大社の正門としての性格を持つようになった。
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春日大社境内図
春日大社 (kasugataisha.or.jp)
より頂いてきました・・

御本殿を囲むように四角形に配置された
回廊・重要文化財
春日大社 (kasugataisha.or.jp)
より抜粋↓
南回廊は南門を中心に東西に21メートルづつ広がり、両端は北折れして東西の回廊につながる。
東回廊は約37メートルでほぼ中央に影向門があり東御廊と接する所で終る。
西回廊は約57メートルで南から慶賀門・清浄門・内侍門がある。
北回廊は27メートルあり、西回廊とのみ接していて御本殿の後ろに廻り込む前で終る。


中門・御廊(ちゅうもん・おろう)重要文化財

春日大社 (kasugataisha.or.jp)
より抜粋↓
中門は御本殿の直前にある楼門で高さ約10m、中門正面の唐破風(からはふ)は明治時代に取り付けられた。
御廊は中門から左右に約13m、鳥が翼を広げたように延びている。現在御本殿の祭典では、神職の座る場所ですが、
昔は興福寺の僧侶が常に御経をあげる場所であり、その他にも東大寺の僧侶も御経をあげていた。
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この日は・・
中に入れた・・500円・・・






御蓋山浮雲峰遥拝所
(みかさやまうきぐものみねようはいしょ)入山禁止

春日大社 (kasugataisha.or.jp)
より抜粋↓
春日大社第一殿のご祭神、鹿島の武甕槌命様が白鹿の背にお乗りになり天降られた神蹟、
御蓋山頂上浮雲峰の遥拝所。
この遥拝所は浮雲峰から春日大社御本殿を通り平城京大極殿まで続く尾根線上にある。
平城京の東端に位置する御蓋山より、宮廷の正殿である大極殿へと神様のお力が伝わる大変尊い場所。


御本殿には入れない・・外からの撮影も駄目・・


藤浪之屋・重要文化財
(ふじなみのや)

春日大社 (kasugataisha.or.jp)
より抜粋↓
春日大社は燈籠がたくさんあることで有名で、平安時代から現在までに奉納された燈籠がおよそ三千基。
春日の燈籠は数が多いだけでなく歴史的な資料としても重要で、
現存する室町時代以前の燈籠の六割以上が春日大社にあるといわれる。

2月の節分、8月14日・15日の年3回、すべての燈籠に浄火をともす春日万燈籠が行われており、
この万燈籠神事を感じていただこうと、江戸時代まで神職の詰所であった藤波之屋を開放しています。


それでは、引き返します・・
次は
登大路地下道を潜って


P興福寺への道


地図3再掲


興福寺には

国宝館の横、駐車場を通って入りました・・
実は興福寺のHP↓
https:www.kohfukuji.com
には入れませんでした・・プライバシー エラー (kohfukuji.com)
しょうがないので
興福寺|社寺なび|いざいざ奈良|JR東海 (jr-central.co.jp)
からの情報を抜粋して、以下を説明しています。

国宝・東金堂

室町時代に再建された西向きのお堂。
薬師如来像を本尊とし日光・月光菩薩像、四天王像などが安置。

Q国宝・五重塔

高さ約50mの木造塔は、京都の五重塔についで2番目に高く、
創建時(奈良時代)の姿が踏襲されている。

中金堂

創建当初の姿が忠実に再現され、往時の人々が目にし美しい姿のまま再建されたお堂。

南円堂・重要文化財

稜線が美しい八角形のお堂は国内最大で、西国三十三所観音霊場の第九番札所。




R国宝・北円堂

奈良市観光協会のHPより抜粋↓
奈良時代に藤原不比等の一周忌供養に建てられました。
現在の建物は鎌倉初期の再建ですが、興福寺に残る最も古い建築物です。
八角形の美しい円堂内には、運慶一門の手による本尊の木造弥勒如来坐像(国宝)、
木造無著・世親菩薩立像(国宝)、四天王立像(国宝)が安置されています。
内部は非公開ですが、春と秋に特別開扉が行われています


さて・・

急いで帰ります・・

家に帰り着いたのは、午後5時・・
4時間以上歩いた・・
歩数22000♪

以上