Bogey-Don
西国街道探索
門戸厄神駅〜西天神社


なんとなく、前から考えていたこと「西国街道」を歩きます。
昔の名残を感じられる物を探しながら・・・

参考にしたのはNETで発見した
「西国街道道中の記録」
です。↓
http://k-yagumo.sakura.ne.jp/web/saigoku.html

この探索記録の
西側は・・<2020.11.15.香櫨園駅〜門戸厄神駅
東側は・・<2021.6.6. 西天神社〜兵庫県東端

一日で走破しようと思ったが、
途中で息切れ・・二日がかりになりました。

<2021年5月11日(火)>

この日は
午前中に家を出て、門戸厄神駅へ・・9時半ごろ歩きだした。

@門戸厄神駅西改札口

改札口を出て、左の方向に・・

踏切が見えます・・この道が西国街道、此処で右折・・
振り返ると・・

この踏切の向こう側から街道は続いている・・・



緊急事態宣言下、お店は休業中・・


A厄神明王道の碑

前回はここまで来て、引き返した・・


さて・・
地図1



西国街道は左側です・・








B中津浜線との交差点







チョット進んだところで、
地図を見たら、近くにお寺がある・・ってことで寄り道です・・

C松林寺




 

西国街道に戻るとき、綺麗な川に気が付いた・・

西国街道と並行して流れているのだ♪

D西国街道 に戻りました





しばらく行くと・・

E三叉路 に出ます・・

此処を左に・・

先ほどの川が道の左側に流れている・・

この辺りでは西国街道が

この川沿いに続いていたのかな??

おや・・

FT字路

に出た・・

此処を右に・・
振り返って見たら・・

西国街道の案内板がある♪

さらに進みます・・

地図2




G交差点 左折します・・





左折・・前方に山陽新幹線の高架が見えてる・・

その前で、右折するらしい・・

H右折








I山陽新幹線の高架 を潜る



西国街道は真っすぐだが・・

チョット左側には・・

先ほどの川が流れている・・

さらに進む・・


J大きな交差点

どうやら此処から正面に見える、斜めの道が西国街道・・











K西国街道の案内板




さらに進むと・・


LT字路 に突き当たります・・

右折・・



右側は・・
報徳学園中学・高等学校


正面は・・
そろそろ武庫川に・・

車が走っているのは、県道114・・
突き当たって・・右は

左は

階段があるので、行ってみます・・

M横断歩道 県道114

渡ります

河川敷に降ります


ぽつんと・・
N髭の渡しの看板



看板しかない・・けど、
西国街道は此処から武庫川を渡ったらしい・・渡し舟が在ったんでしょうね〜
ってことは、武庫川を渡るまでは西国街道はない。

そろそろ10時半ごろ・・と言うわけで、
この日は此処までで撤退します・・

蛇足
前もって調べて置いたバス停に向かいます・・
武庫川上流

下流









山陽電車の高架

国道171号線が見えてます・・
橋の名称は、甲武橋

甲武橋の西側に上がります・・

道を下流方向に横切って・・
県道114
です・・狭いけど・・うっすらとバス停が見えます・・
歩いて行くのは、車が来ないときに行かないと??

右側に階段があるので、
バスを待つ時間つぶしに降りてみます・・



住宅街です・・

この辺りは、武庫川より低いのかな??



バラ


バラ


フリージア&チェリーセージ

どうやら・・

此処を登ればバス停に行けそうに気がする・・笑

正解(笑)

(A)甲武橋バス停 です・・



11時48分のバスに乗ります・・



JR甲子園口駅



<2021年5月14日(金)>

9時ごろに家を出て、
甲子園口駅に着いたのが、9時45群ごろ・・



まだ時間があるので、
ウロウロしたら

バラ



仁川駅行・・10時01分に乗ります


バスの車窓

武庫川沿いを上流に・・


(A)甲武橋バス停

ここで下車・・10時09分

(B)甲武橋

渡ります・・

地図3




武庫川上流

下流


向こう岸に見える階段を降ります・・


武庫川が西宮市と尼崎市の境界です・・


(C)武庫川河川敷
降りたら上流方向に・・





対岸の景色

しばらく進んで・・


(D)常松2丁目交差点

この細い道に入ります・・




O髭の渡し跡



この常夜灯に刻まれている文字・・
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以下は、「ぶら助」さんのブログ↓
ちょっとぶらぶら | 西国街道〜その11 甲武橋〜池田市石橋阪大下(前篇) (fc2.com)
から頂いたものです・・

左の写真
柱部分の東面(右面)には、一番上の右上と左上に「奉」「納」、
それに続いて右から「天下泰平 西昆陽村」、
真ん中に「大乗妙典六十六部 日本廻國供養」、
左に「日月清明 行者三郎右衞門」。
西昆陽村は、渡しの川越えを月番で担当していた村です。

右の写真
北面(裏面)には、「文政元戊寅七月」とあり、
その左下にもう一行何かあるようですが、読めませんでした。
文政元年(1818年)の建立です。

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とのこと







一旦、武庫川方向に・・渡し場跡とかが在るかな??


P地蔵堂

この辺が船着場だったのかな・・

対岸

あの辺が「髭の渡し」の看板があるところかな?

さて、引き返します・・





上の道路にあがります







野生のユッカ

此処で・・
Q左折・・



何か看板が・・



この駐車場付近に「髭茶屋」があったらしい。
NET検索の情報によれば
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街道の宿駅の前後中間には小駅が設けられ、人足等が杖を立てて休息する立場が作られています。
立場には茶屋が置かれ、ここには正規の宿駅に泊れない臨時の客を泊める施設も認められていました。
髭茶屋は街道筋に店を開いていた西昆陽の茶屋の一軒です。
茶屋ではぞうり・わらじの他、酒・一膳めし・菓子などが売られていました。
髭茶屋の説明に「茶屋の犬が旅人の往来のたびに、茶屋の菓子をほえてねだり、買い与えると
吠き止まる」とほほえましい一面も伝えられています。

「髭の渡し」の由来になった立派な髭をたくわえた安兵衛というご主人が営んでいた。
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とのこと


澄んだ小川に・・

大きな鯉が・・

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以下は、「ぶら助」さんのブログ↓
ちょっとぶらぶら | 西国街道〜その11 甲武橋〜池田市石橋阪大下(前篇) (fc2.com)
から頂いたものです・・


西昆陽歩道橋の根元にある、武庫村道路元標。
ガードレールで囲まれているので、知らないと気付きません。

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とのこと
私も気が付かずに通り過ぎてしまいました・・

R西昆陽交差点

此処で国道171号線に合流



ここにも・・

小川が・・



S伊丹市 に入ります


地図4







観応の擾乱(かんのうのじょうらん)
南北朝時代、観応元年/正平5年10月26日(1350年11月26日)から
観応3年・文和元年/正平7年2月26日(1352年3月12日)にかけて、
足利政権(室町幕府)の内紛によって行われた戦乱の主人公の一人。
(年号が二つあるのは朝廷が二個あったから)
観応2年(1351年)にこの辺りで討たれた足利尊氏の執事・高師直(こうのもろなお)の塚。


(21)昆陽里交差点

右折して・・

さらに東に・・




(22)枝道に・・

西国街道の道標








(23)閼伽井公園(あかいこうえん)
「寺本児童遊園地」とも言われている

西国街道の道標




閼伽井の井戸



・・・・・・・・・・・伊丹市のエリアガイドから抜粋・・・・・・・・・・
「閼伽井(あかい)公園」は、国道171号昆陽里交差点から東へ5分ほど入った住宅街の中の公園。
園内には井戸があり、寺本2丁目にある「昆陽寺」を建立した奈良時代の僧、行基が掘らせた井戸だと言われている。
閼伽とは、仏様に供える水という意味。
周辺には西国街道が通っており、かつては旅人も、
この地で「閼伽井の井戸」の水を飲んでひと息つくなど、休息の場となっていた。
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とのこと

この公園の西側には、
昆陽寺旧参道 が走っています・・

行ってみます・・

(24)正覚院





見えている屋根は・・昆陽寺
だが、

渡れない・・引き返します。

元の道を真っすぐに・・ですが、

西国街道は此処を左に入っていたとの説もあります・・
地図によれば、真っすぐ行っても左折するので、
直ぐに合流します。

(25)交差点 に出ました・・

向こう側の右側に公園が見える・・

だが・・
西国街道は公園の手前を左折・・






(26)寺本4丁目交差点

渡ったら

東に少し戻ります・・


(27)昆陽寺山門(こやでらさんもん)







本堂


行基堂

昆陽寺のホームページ↓
昆陽寺 | 西国四十九薬師霊場会 (yakushi49.jp)

・・・・・・・・・・・伊丹市のエリアガイドから抜粋・・・・・・・・・・
奈良の大仏の建立にも携わった奈良時代の名僧、行基。
「昆陽寺」は、その行基が、731(天平3)年に造った昆陽施院をもとに建てられた寺院。
迫力ある見事な朱塗りの山門があり、山門内に安置されていた広目天・多聞天立像、
境内の観音堂とともに兵庫県指定文化財となっている。
また、寺の本尊の薬師如来像は、行基の作とも伝えられている。
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さらに
・・・・・・・・・・・・・・・・wikipediaより抜粋・・・・・・・・・・・・
天平3年(731年)に行基が昆陽池を造成するのと並行して
貧民救済を目的とした「昆陽施院」(布施屋)を創建したのが当寺の起こりである。
天平5年(733年)、第45代聖武天皇の勅願寺となって伽藍が整備され、
36坊の子院を設け、周辺を開墾し荘園化して発展した。
天正7年(1579年)、有岡城に籠城する荒木村重と織田信長の合戦、
有岡城の戦いに巻き込まれて焼失したが後に再興され、江戸時代は9か寺の塔頭を有していた。

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とのこと

チョット西側に出たら・・

遍照院


一乗寺

さて・・

東に向かって、元の道に戻ります

寺本4丁目交差点を真っすぐ通り過ぎて








(28)西天神社





兵庫県神社庁のホームページ↓
西天神社|兵庫県神社庁 神社検索 (hyogo-jinjacho.com)
創立年不詳
とのこと。

目の前にバス停が在ったので、
この辺りで・・この日は撤退することに・・笑。

アルビス寺本バス停







JR伊丹駅

此処からJRで家に帰ってきました・・午後1時ごろ・・

この 東側は・・<2021.6.6. 西天神社〜兵庫県東端


以上