Bogey-Don
西国街道探索
浜街道、三ノ宮駅〜新在家駅


<2020年10月16日(土)>

なんとなく、前から考えていたこと「西国街道」を歩きます。
昔の名残を感じられる物を探しながら・・・

参考にしたのはNETで発見した
「西国街道道中の記録」
です。↓
http://k-yagumo.sakura.ne.jp/web/saigoku.html

この探索記録の
西側は・・<2020.9.22.神戸駅〜三ノ宮駅
東側は・・<2020.10.22.浜街道、新在家駅〜青木駅
なお並行して走っているのが、
本街道・・<2020.10.11.本街道、三ノ宮駅〜新在家駅

この日は
朝8時過ぎに家を出て地下鉄で三ノ宮へ・・8時半ごろ歩きだした。

@神戸阪急百貨店
 本館と新館の間の道です




地図・・1枚目

青い〇数字が・・浜街道 赤い〇数字は・・本街道






公園



A 新生田川



上流

下流



B専稱寺



調べたが、浄土真宗本願寺派の本願寺神戸別院の寺院リストには載っていない??
不思議。。



国道2号線を渡る・・



三ノ宮方向

大阪方向

陸橋の上に・・昔の臨港線の案内が・・





Wikipediaに臨港線の地図がありました・・

神戸港駅は、1907年(明治40年)に開業とか・・古いね〜

NETで臨港線に関する面白いページを見つけました↓
http://www.hotetu.net/haisen/Kansai/120310kouberinkousen.html
ご参考に・・

C阪神高速3号線の下 に潜り込む・・


地図・・2枚目

青い〇数字が・・浜街道 赤い〇数字は・・本街道
浜街道は、西国街道の碑が少ないのか・・この辺りで道が判らなくなった・・笑

どうやら・・このまま進むのが正解らしい・・
だんだん狭くなっている・・が、、
D阪神高速3号線の下 からもうすぐ離れる・・






E南宮宇佐八幡宮







兵庫県神社庁神社検索のホームページ↓
http://www.hyogo-jinjacho.com/data/6301040.html
によれば・・
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創建は
「建武3年(1336)楠木正成、足利専氏追討の命を奉じ、兵庫に出陣の途次、
当脇浜に同志を集め休息せし時遥に八幡宮を拝して湊川に下向し、勝利をおさめた。
依って村民等其の跡地南宮川畔に八幡神社を勧請し、脇浜村の鎮守として尊崇怠りなし」
と伝えられている。
 また、伝承によれば南宮は楠宮の木偏を後世脱せるもので、即ち楠が南になったものとも伝えられ、明治6年(1873)に村社に列せられた。
社殿は昭和7年(1932)9月、大々的に現在地に造営し、
さらに葺合の村社宇佐八幡神社を合祀し、社名を南宮宇佐八幡神社と改称して、社頭の整備を完成した。
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建物は震災で倒壊し、再建されたらしい・・
けど・・古い神社です。



F国道43号線 に合流・・








G敏馬神社 (みぬめじんじゃ)



なんて書いてあるのか??

岩屋氏子仲
と書かれている・・これを調べるのは、
面白かったな〜笑








此処に「西国街道」の言葉が・・この道で正解らしい♪

兵庫県神社庁神社検索のホームページ↓
http://www.hyogo-jinjacho.com/data/6301022.html
によれば・・・
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『摂津風土記』逸文に、「美奴売とは神の名なり。神功皇后が新羅へ出兵の時、神前松原で神集いをされた。
その時、能勢の美奴売山の神様が参られ、『吾が山の杉の木で船を造りて行かれるならば幸いあり』と御教示され、大勝利を収められた。
帰還の節、この地で船が動かなくなり、再び占い問うと、『神の御心なり』と御教示された。
故に、美奴売の神様をこの地にお祀りし船も献上した」と記される。神功皇后摂政元年(201)の創建。
社殿は、かつて「敏馬の崎」と呼ばれた高台にあり、東側は大和時代頃より「敏馬の泊」という神戸最初の港で、
遣隋唐使も立ち寄ったという。『万葉集』には「敏馬」を詠んだ和歌が九首。
境内には柿本人麿・田辺福麿の歌碑があり、万葉ゆかりの神社としても有名である。
 古来より公家諸大名庶民の信仰篤く、多数の奉納品が現存するが、
特に江戸時代の「樽廻船絵馬」は美術的価値の高いもので、神戸市指定有形民俗文化財。
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此処も震災で被災し、再建されている・・
でも・・超・古い。。

地図・・3枚目

青い〇数字が・・浜街道 赤い〇数字は・・本街道





H龍泉禅寺

お寺の壁の外に・・

昔の道路標識・・西国街道ですよね・・笑。



NETで調べても正式なホームページはない・・が、
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山号は敏馬山で、永源寺末の臨済宗です。本尊は薬師如来。
聖徳太子が開基したと伝えられています。
もともとは敏馬神社の神宮寺で境内にありましたが、
明治元年の神仏分離令により寺は独立、しかし当時は寺勢がひどく衰えていました。
そこで明治3年、永源寺派の管長万松関老大師が見回りにきて、弟子の雄峰が復興しました。
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との記述を発見、
古いね〜

そろそろ・・43号線から南に曲がらないと・・


陸橋にあがって・・

チョット行く先を調査・・

大阪方向

三ノ宮方向

また元の道に戻って、少しだけ直進・・
I国道43号線を離れる

この辺りで、43号線の下を右に・・



陸橋にあがります・・
下には
西郷川 が流れている・・


一旦、海の方に寄り道・・


J西郷川河口公園







葉げいとう

酔芙蓉

また、阪神高速3号線の北側に移動・・

K高速道路北側の路地 へ・・




L阪神高速南側 へ

あった・・

西国浜街道の標識♪




M南町公園



だんだん標識が増えてきた・・笑



太郎八地蔵尊



NETの中から・・
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街の中にひっそりとたたずむ地蔵。
実は水と格闘してきた記憶を今に伝える生き証人でもある。
都賀川下流の大石南町でユーモラスな笑みを浮かべる「太郎八地蔵尊」は、1765年7月16日の
台風で都賀川上流から流されてきた。大石の太郎八という人が拾い上げ、この地に安置したので
太郎八地蔵と呼ばれるようになったと伝えられている。
流されてきた日を命日にしたのでここの地蔵盆は多地区の地蔵盆より1月以上早く行われる。
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とのこと・・古いやんか。。

N都賀川



あるね〜



上流

下流

地図・・4枚目

青い〇数字が・・浜街道 赤い〇数字は・・本街道







O妙善寺





このお寺も、浄土真宗本願寺派・・
ちゃんと本願寺神戸別院の寺院リストに載っていた。

そてつ・・神戸市のホームページに・・
神戸市指定記念物(天然記念物)との記載在り。



P新在家公園
















Q友田本通り の南側です・・



此処で左折・・阪神新在家駅に・・


R阪神新在家駅

12時半です、、この日は・・
此処で家に帰ります。

この 東側は・・
2020.10.22.浜街道、新在家駅〜青木駅

以上