Bogey-Don
西国街道探索
浜街道、青木駅〜香櫨園駅


<2020年11月9日(月)>

なんとなく、前から考えていたこと「西国街道」を歩きます。
昔の名残を感じられる物を探しながら・・・

参考にしたのはNETで発見した
「西国街道道中の記録」
です。↓
http://k-yagumo.sakura.ne.jp/web/saigoku.html

でも、上記に浜街道は詳しく書かれてなくて・・
別のブログを参考にしました↓
https://hirukarasanpo.blog.fc2.com/blog-category-11.html

この探索記録の
西側は・・<2020.10.22.浜街道、新在家駅〜青木駅
東側は・・<2020.11.15.西国街道探索、香櫨園駅〜門戸厄神駅
なお並行して走っているのが、
本街道・・<2020.11.8.本街道、摂津本山駅〜香櫨園駅

この日は
朝11時に家を出て、阪神青木駅へ・・12時ごろ歩きだした。

@青木駅


A竹本交差点

西国浜街道は此処から国道43号線沿いに・・
東に向かいます・・

地図1


B本庄村道路元標&青木八坂神社


本庄村道路元標



本庄村は明治22年に深江・青木・西青木の3村が集まってできた村らしい。

青木八坂神社





兵庫県神社庁のホームページ↓
http://www.hyogo-jinjacho.com/data/6301020.html
によれば・・
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天保年間、この地は青木村米屋利兵衛の所有地であったが、村中で買収し方一間春日造りの社殿を建て、
天保11年(1840)正月13日神祇管領卜部良長より神明宮・素盞嗚命・松尾大明神を勧請したと伝う。
大正2年(1913)10月11日、八坂講を組織し神明造りの社殿や社務所を造営し、末社として天満天神・大物主命を祀った。
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とのこと・・

さらに東へ


C延命地蔵尊





参考にしたブログより抜粋
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戦前からあり、青木の東の地蔵尊と言われていた。
どんな願い事でも聞いてくれ、足の不自由な人が参ると歩けるようになったのが、この地蔵尊の霊験の始まりという。
いつもは閉まっているが、地蔵盆の2日間は開いていて多くのお地蔵様を見ながらお参りすることができた。
夕方、お地蔵様の前では数珠繰りが行われる。さすがに御詠歌はテープで流し、鉦だけを鳴らし数珠を回していく。
写真も頂き物
やって来た子供たちはまずお地蔵様にお参りし、数珠繰りをする。その後、お菓子をもらって帰るという順になる。
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東へ・・

D青木交差点

・・此処で左折・・国道43号線から別れます・・




前方の道が、浜街道・・

E右折、浜街道へ


左側にチョット寄り道・・

グランドの北側・・

阪神電鉄の高架下に・・

F謎の神々



大八櫓大神 小松原大神


薬堂大神 大松大神 大蔵大神


松高大神 又蔵明神
NETで調べたが、今のところ情報はない・・・

元の道に戻ります・・



左側は本庄中学校と本庄小学校が並んでいます・・
その角に・・

Gなごりの松



昔、このあたりは海岸の近くで、松林がありました。
江戸時代、西国街道は打出村(芦屋市)で内陸部を通る道と海岸沿いを通る道の2本に分かれ、
三宮(中央区)で再び合流していました。
その浜側の道が、この辺りを通り「浜街道」と呼ばれ、多くの人々が行きかい、とても賑わっていました。
1900年(明治33年)になって本庄小学校が建設された時、運動場のはしに松の木が並んでおり、
この松は、その当時をしのばせています。

・・・と書かれています・・・



突き当りの右側には・・


H踊り松の碑

・・


此処で左折・・

すぐに右折・・




I深江橋 高橋川です

工事中です・・

迂回しました・・

橋の横には・・

踊り松地蔵




東へ・・

前方に神社が・・

J大日霊女神社


神社の境内の西側、
本庄本山線(稲荷筋)に面して・・
西国浜街道&魚屋道(ととやみち)
の案内が・・




 


の案内が・・
「魚屋道」(ととやみち)は、
江戸時代、深江浜(神戸市東灘区)に水揚げされた鮮魚を
商人たちが六甲山越えの最短ルートで有馬温泉の湯治客のもとへ運んだ道。
此処が出発点だったらしい・・

大日霊女神社





兵庫県神社庁のホームページ↓
http://www.hyogo-jinjacho.com/data/6301021.html
によれば・・
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昭和47年(1972)まで深江北町四丁目から本庄町3丁目にかけて「薬王寺」という町名(字名)が残っていた。
その付近に中世に建立された真言宗「薬王寺」があって大日如来を本尊としていたが、
文明13年(1481)に、住職観空は本願寺第8代門主蓮如上人の教化に帰依し、
浄土真宗に改宗し寺号も「延寿寺」に改名して、本尊を阿弥陀如来とした。
寺を出された旧本尊の大日如来を村人が引取り、現在地に祀ったのが当社の始まりと伝う。
神仏習合の中で、大日如来を本尊とする鎮守社であったが、明治の神仏分離令により、明治6年(1873)に神社となった。
明治41年(1908)4月に立派な本殿を始め、社務所・だんじり庫等も新築したが、大東亜戦争終戦前の昭和20年(1945)8月の大空襲により、
社務所・だんじり庫・樹齢数百年の多くの松も焼失した。
戦災を免れた本殿は、平成7年の阪神淡路大震災で倒壊したため、現在仮本殿で祀っている。
創祀以来500余年にわたり、深江の里人から「大日ツァン」と親しみをもって呼ばれ崇敬されている氏神様である。
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とのこと・・

東へ・・




旧正壽寺参道




公園が見える・・















国道43号線に合流・・

K地蔵堂









さらに東へ・・

地図2


左側に西国浜街道の案内が・・






L深江本町1丁目交差点




M芦屋川

上流





左側は・・精道小学校




N龍頭の泉

龍が池から頭を出しているように見える水場です。



龍頭の泉を紹介した新聞記事が掲示してあり、
それによると、この小さな緑地は、
2005年に地元の小学生たちによって作られたそうです。
吐水口の石は、もともと芦屋の山の手の洋館にあったもので、
昭和初期ころに彫刻された大谷石だそうです。

すぐそばの角に・・

お地蔵さんが・・居た。


さらに東へ・・




O宮川





さらに東に・・

地図3
この辺で浜街道は本街道に接近しています・・

青い〇数字は・・浜街道  赤い〇数字は本街道です・・



P打出商店街

地図を見てみると・・商店街は、打出駅の東側から此処までです・・
約120mほど・・
日本で一番短い商店街かも(笑)



Q赤いポスト

此処で国道43号線から分かれて・・左側の道へ・・

親王寺



特別に古いわけでもなさそうです。

地蔵堂が見える・・


地蔵堂






もうちょっと進むと・・

此処から地図の番号は、本街道に合わせます。
O本街道との合流点

左側から来る道・・

これが本街道


橋が見えてきた・・


P分岐点の標識

この辺りから西宮市に入ります・・

川の反対側の橋の横に

読めないけど・・
「堀切川分岐点」
と書かれているらしい??
此処が、浜街道と本街道の分岐点と言われているらしい。
と言うことは、
当時の本街道は、阪神電鉄の線路を斜めに横切っていたらしい・・・多分。










これは読めないけど・・
三界萬霊塔(さんがいばんれいとう)
らしい・・
本街道の、宮川西国橋の横の白露地蔵尊にも
「三界萬霊」の文字が在った。

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「三界萬霊塔」とは
三界は仏教語で、欲界、色界、無色界をいい、俗界というのは、食欲、性欲、睡眠欲をいう。
色界は食欲よりも性欲の強いことをいい、無色界は性欲のない心の世界をいう。
万霊というのは欲、色、無色界の有情無情の精霊などのあらゆる世界をさしている。それらを供養することが三界萬霊塔である。

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とのこと・・

Q夙川&香櫨園駅








たどり着いたのは・・午後3時ごろ・・・・

此処より東は、
2020.11.15.西国街道探索、香櫨園駅〜門戸厄神駅


以上